19歳の僕が思い描いた「人のために生きる」という夢の中で、それが一体どういう形で生きるのかを見つけたのは22歳くらい。 そこで独学でフリーランスデザイナーになるという無謀で大きな目標を掲げて、その目標を達成した僕が今立たされいる岐路があります。 ということで今回は、人生の目標をクリアしてしまった僕が次に目指すものの道標、についてお話ししたいと思います。

例えば今、僕が誰かと大きな喧嘩をした時に「もうこんな奴とは一生会いたくない」みたいに思ったとします。 その相手がいつか亡くなったと聞いた時に、果たして喧嘩した瞬間と全く同じ感情でいられるんでしょうか? ということで今回は、本当に大切なものに今気付けるほど人間は敏感じゃない、というお話をしたいと思います。

意気地なし、中途半端、無責任と、色々なことを言われ続けて来た僕ですが、そこには僕の正義があって色んなことから耐え抜いて来ました。 そんな僕も自分なりの悟りを開いたのか、ただ待つという勇気だけではなく「待ち方」を考えるようになりました。 ということで今回は、前に進むのではなく現状を動かすために待ち方を変えるということ、についてお話ししたいと思います。

今思えば僕は「自分の欲」というのが限りなく少ない人間で、あまり自分がどうしたいのかを考える機会がなかったなと思います。 そんな中で、色んな深い経験が立て続けに起こってしまった僕はある意味で悟りを開いたのと同時に、自分の行動を見直す機会が生まれました。 ということで今回は、会いたいと言ってくれる人の前にいようと思った、というお話をしたいと思います。

あまり人と交流することのない僕なんですが、最近は少し積極的に人と会うようにしていたりします。 特にこれといった理由はないのですが、自分を必要としてくれる人達の目の前に出来る限り顔を出してコミュニケーションを取ろうと思うようになったからですね。 ということで今回は、プロフェッショナルの話を聞いて技術は追い付けなくても感覚を掴むことの大切さ、についてお話ししたいと思います。

自分で言うのもなんですが、ここ数年の僕は自分自身のことを「応援される人」だと感じる様になってきました。 ありがたい話ではあるんですが、今の状態に至るまでには自分の中での改革があり、そういう存在にならなければ生きていけないと感じたからです。 ということで今回は、応援してもらえる存在になるには全てを曝け出すということ、についてお話ししたいと思います。

先日、昔からおばあちゃんっ子だった僕にとって大好きなおばあちゃんの四十九日を無事に終えることが出来ました。 僕は初七日から四十九日までのお逮夜を全て出席してつとめましたが、お経が唱えられる度に色々なことを考えてしまった修行の様な日々でした。 ということで今回は、大好きなおばあちゃんの四十九日を終え他僕が今思うこと、についてお話ししたいと思います。

僕自身がフラットに生きていたら「素直」とか「真っ直ぐ」とかそんな気持ちを持って生きていけると思うんですが、世間の多くは陰気臭さが目立つ気がしています。 裏でコソコソと誰が言ったとか、好きだの嫌いだのとか、本当はこう思っているとか、やっぱりどうしても僕は苦手なんですよね。 ということで今回は、後ろめたさを持って繋がっていくよりも自分を潔く曝け出せ、というお話をしたいと思います。

先日の発信で僕が思う「ガッカリすること」についてお話ししたんですが、やっぱり人のそういう部分を見ると傷つくのは事実なので、見なくて済むなら見たくはないですよね。 だからこそ、そうなる前に行動に移すことで後悔をしなくて済むようにすることが大事だと思うんですが、もう1つ僕の中で考え方が生まれたような気がしました。 ということで今回は、幻滅は心を目覚めさせる一番の衝撃だと思う、というお話をしたいと思います。

僕の心の中にある「幻滅」という言葉は、もしかすれば少し人とは違うんじゃないか?と思うくらいポジティブなものだったりします。 それがどういうことなのかは次回お話しするとして、一方で幻滅の衝撃を受けた時のガッカリ感は平等で、出来るならそれは避けたいとは思っています。 ということで今回は、何かにガッカリしてしまう前に自分の行動としてまず出来ること、についてお話ししたいと思います。

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