【学歴という肩書き】完全独学のフリーランスクリエイターなった高卒の僕が思う疑問。
どうも、コウタです。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し5年目となります。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,300日(2020年7月現在)を突破しました。
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僕は5年前に完全独学のフリーランスデザイナーとして事業をスタートさせました。
学問という面で、本気で勉強したのは中学から高校に入る入試の時までで、高校時代に限ってはサッカーしかしてなかったし、テスト前の一夜漬けくらいでギリギリ卒業出来たレベルです。
結局、サッカーを頑張っていたからこそ取れた「指定校推薦」で大学に進学したんですが、目的のない進学は自分の首を絞めることになり早々に退学することになりました。(退学の理由は家庭の事情など要因がありました)
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僕は昔から、学歴なんてものは必要ないと思っていて、今もそこに固執する大人達の気持ちは一切分かりません。
「(有名大学)を卒業したから」「(有名企業)に就職が決まった」なんて別にどうでもよくて、”大切なのは現時点でどれだけ充実してるか“なんですよね。
ということで今回は、「学歴という肩書き」完全独学のフリーランスクリエイターなった高卒の僕が思う疑問についてお話ししたいと思います。
有名大学卒でも仕事が出来ない人はゴロゴロいる。
誰もが知っている有名大学を卒業している知人がいたり、クライアントさんとしてお仕事をさせてもらう機会があります。(その逆も然りです)
そんな中で感じるのは「有名大学を卒業しているからといって仕事が出来る訳ではない」ということです。
それこそ高卒だろうが中卒だろうが関係なく、仕事をする上での頭の回転の速さは、勉学としての賢さとは全く比例しないと感じています。
多くの知識があるからこそ可能性が広がることは間違いないのですが、それらを組み合わせて繋げることが出来なければ無駄な知識になってしまうわけです。
要するに、頭は賢いけど要領の悪い人はゴロゴロいるということです。
それは超有名企業に入って一緒に仕事をさせてもらった時にも感じましたし、有名大学だからとか、有名企業だからということではありません。
学歴にこだわるより、今何をやっているかにこだわる。
僕は昔から「学歴」で判断される就職なんて興味がなくて、今自分が何をやっていて、どれだけ充実感を持って生活が出来ているかにこだわりを持っています。
そもそも最高の学歴を持っていても幸せじゃないと意味がないので。
僕は高卒で就職も一切したことはありませんが、専門学校にも行かずに完全独学でフリーランスデザイナーとして活動を開始して「仕事」としては十分に成り立っています。
僕はそこらの立派な広告代理店なんかに所属しているデザイナーと、ほとんど遜色ないものを作れる自信がありますし、彼らよりも充実した人生を送ってきた自信もあります。
そこの優劣は関係ないのですが、要するに今の時代に「学歴」なんてほとんど関係ないんですよね。
就職しないと出来ないことなんて実は存在しない。
仕事をする上で取得しないといけない国家資格の取得条件に「大学卒業」があるとするならば、僕は大学に通うと思います。
就職する上で選考する際に、そういう意味での学歴を企業が見るのであれば良いと思うんですが、そもそも「〇〇大学卒業」という肩書きだけではその人のことは分からないと思います。
逆に僕は「学歴はなくてもやりたいこと(夢)を仕事に出来る」ってことを多くの人に伝えたいですし、それを発言する者として、事実を証明するために今を一生懸命生きています。
そんなことから、そもそも就職しないと出来ないことなんて実は存在しないんじゃないかとも思っています。
きっと自分が就職したいと思う仕事は、誰かが1から立ち上げたものだから、能力と行動次第では自分の力で実現することも可能じゃないですか。(超有名企業で働くとか、資金の規模感での経験は別です)
あと、その企業で直接的に働かなくても、違う形で繋がることも出来るし、学歴がなくたって可能性は無限にあるわけなんです。
肩書きで通過出来るゲートなんか通りたくもない。
トゲが立つ言い方になりますが、そもそも(通過儀礼だと思っている人の)大学卒業という、お金と時間を消費すれば手に入る紙切れのような肩書きにどんな価値があるのか?って思うわけです。
そんな肩書きを、最低限必要だと叩きつける柔軟性のない古臭い会社なんて、そもそも入っても意味がないですよね。(超有名企業でも入りたくない)
で、結局そういう意識の人が思っている有名企業で働いていることの意味なんか、高級車に乗ったり、高級時計を付ける時のと全く同じ感じですよね。
結局のところ「そこに意思があるか」が重要なので、どういう学歴を辿って来たかのネームバリューとかは全然魅力的じゃないんです。
有名大学を卒業してても、やる気がある人とない人がいるのにも関わらず、肩書きで通過出来るゲートがあるとするなら、僕はそんなゲートを通りたくもないし、そんな色眼鏡で勝手に比べられたくもないんです。
僕は全く学歴を意識することはないんですが、もしそんなことに固執して気になってしまう人がいるとすれば、過去ではなく今を見て、自分が最高の状態にあるかを見つめ直してください。
それを学歴のせいにするのかどうかは自分次第ですが、僕は多くの場合、これからの行動で変えていける未来しかないと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、またね。