【未来を迎えに行く】自分のパワーをセーブする必要が無いと気付いた日。
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【未来を迎えに行く】自分のパワーをセーブする必要が無いと気付いた日。

2020.11.04
2020.11.04

どうも、コウタです。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し5年目となります。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,400日(202010月現在)を突破しました。

外出自粛で運動不足やストレス発散が出来てない方は、僕が毎日欠かさずやっているダイエット効果バツグンの自宅トレーニングをまとめたのでチャレンジしてみてください。また、外に出て運動する方へ、これからの時期持っていると便利な「コスパ最強のランニンググッズ」を紹介したのでこちらも合わせてご覧ください。

僕は今フリーランス5年目で、毎年少しずつ成長してきて、やれることが増えるにつれて出会う人や、一緒にお仕事をさせてもらう人が変わってきました。

そんな中で、僕と同じようなスピード感で成長している人達と、今の立場に安住して成長のリスクを求めない人達がいたりします。

いわゆる「向上心のない人達」です。

これまでは、生きて行くためにそういった人達にも目線を合わせ、一緒に仕事をしてきたりもしましたが、僕が成長していくにつれて1人、2人と離れていきました。

そういう瞬間を迎えた時に、僕はこれまで「残念」に感じていたのですが、最近はそれは「ステップアップ」と捉えることが出来るようになりました。

ということで今回は、「未来を迎えに行く自分のパワーをセーブする必要が無いと気付いた日のお話をしたいと思います。

今回の記事は、くれぐれも薄情で冷酷な内容とおいうことではないので予めご了承ください。

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年功序列を蹴り飛ばした日。

僕は完全に「実力主義者」で、まずは「数字」を残した人が1番の正義だと思っています。

もちろんそれがベストなんですが、この社会では「数字」を出したとしても評価される対象が違うかったりするので、必ずしも表面的な数字で表せないのも事実です。(部下の数字は上司の数字的な)

なので、僕の感覚としては「数字に対する貢献度」を大切にしていて、部長だろうが、課長だろうが、何の意見も出さずにただ事務所にいるだけのオッサンより、営業成績ナンバー1の平社員の方が給料が高いのが当たり前だと思っています。

僕はそんな感覚から、これからの人生を組織で消耗するのはイヤだと「フリーランス」で戦うことを決めました。(人間関係の宝くじを引くみたいな感覚で転職を繰り返すのはイヤだ)

僕がクライアントから離れる時。

僕が仕事を一緒にする人の基準として、「お金」というのは二の次で「助け合いたい人」かというのが1番重要だったりします。

薄情な言い方をすれば、そう思わない人には「それ相応のお金」を支払ってもらえばお仕事はしますが、正直、これから先の未来に、心から一緒に戦っていける人か?と言われれば考え所です。

僕は恐らくですが、これから先もずっと(人を雇わずに)個人で仕事をして行くと思うんで、仕事量には一定のキャパなんかが存在するんですね。

助け合いたい人」が少しずつ増えて定着して行くと、限りある時間の中では一緒に歩める人が限られてくるわけです。

そうなってきた時に、僕はその優先順位から、キャパを超えたクライアントさんから離れていかないといけなくなるわけです。

昔世話になったはいつまでも続かない。

ここで基準になってくるのが、冒頭にお話しした「向上心」の有無で、このスピード感が僕と圧倒的に違う人達とはきっと同じ世界を見ることが出来ません。

昔からお世話になっているからと、その人達の目線に合わせ続け、その人達の成長スピードに合わせて足踏みしていては、僕が抱える他のクライアントさんを助けられなくなるからです

要するに僕にとって、成長するのをやめた人には「昔世話になった」は、いずれ通用しなくなるんです。

僕は人一倍「人情」を持っている人間だからこそ、自分のクライアントさんには、この「向上心」を持っていて欲しいと願っています。

そしてその向上心が、僕と同じように「人の笑顔のため」であればそれは幸せで、僕にとってそういった部分も1つの大きな基準になっています。

僕が今立っている場所は、昔その人がいた場所。

きっと僕は5年前(2015年)にフリーランスになった時や、その下積みをしていた約3年間の間、誰よりも劣等感を感じて生きてきたと思います。

仕事を始めた時も、薄っぺらい気持ちで商売をしている人間を見て「いつか見てろよ…」と、感情を噛み殺してペコペコ頭を下げていた時ももちろんありました。(隠せてなかったかもしれない)

もし、今の僕が逆に、誰かに仕事を頼む時には、そういった感情を仕事相手に感じさせることはありませんが、確かにそういう人達は今も存在するんです。

ただ、経済的な面だけで言えば、劣等感を感じていたあの時に「昔その人がいた場所」に僕は今立てているのかもしれませんが、上を見上げた時にその人が今も上にいるとは限らないんです。

正直な話、僕が当時から心を殺して仕事をしていた、リスペクトしていない人達の存在は視界から消えていき、今も成長しないまま同じことを繰り返しています。

気付いたことは、僕は「昔その人がいた場所」と似たような場所に立っているだけで、全く違う世界の住人だったということです。

薄情者ではなく、面白い未来を迎えに行く。

僕は19歳の頃に経験した家庭の事情で、少しだけ人生を遠回りしたように感じていました。

それまで明るかった人生は一転し、下ばかりを見て、人と目を合わせることが出来ない人生をそれなりに威張って生きてきたと思います。(バリアを張ってた気がする)

関連記事 : 高校を卒業するキミへ伝えたい。大学進学でも就職でもない「フリーランス」という生き方。【人生の幸せの基準】

ただその下を向いていたと思っていた時間は、高く飛ぶための予備動作であり、飛び上がるために必要な時間だったことに気付きました。

そして今、僕は常に前を見て歩き続けています。

僕は、同じ目線で歩くクライアントさんと一緒に、面白い未来を迎えに行くために、下を向いている人と同じ目線に合わせることは出来ないんだと責任感を感じました

ただ、今下を向いている人はきっと、あの頃の僕と同じ「高く飛ぶための予備動作をしている人」と信じて、後ろは振り向かずに、心で思い続けたいと思います。

僕があの時感じた劣等感も、今はお互いをリスペクトし合う関係に至っているケースは沢山あります。

そんな存在である人とも、努力を続ければ、同じ立場で、同じ目線で話せる日がきっと来るので、これからも常に前を向いて進んでいきたいと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、またね。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer