【屈辱を糧にする】僕は想いやストーリーのないものはデザイン出来ない。
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【屈辱を糧にする】僕は想いやストーリーのないものはデザイン出来ない。

2020.08.25
2020.08.25

どうも、コウタです。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し5年目となります。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,300日(20207月現在)を突破しました。

外出自粛で運動不足やストレス発散が出来てない方は、僕が毎日欠かさずやっているダイエット効果バツグンの自宅トレーニングをまとめたのでチャレンジしてみてください。また、外に出て運動する方へ、これからの時期持っていると便利な「コスパ最強のランニンググッズ」を紹介したのでこちらも合わせてご覧ください。

僕がデザイナーとして活動を始めた当時、僕に依頼が入ることは珍しく、デザインの仕事をもらえることだけで幸せを感じていていました。

当時は、自分がデザインしたロゴやポスターが、公共の場に掲示されていることに興奮をしていたのを覚えています。(もちろん今も嬉しいです)

ただ、それが「どんな仕事なのか?」ということは一切関係なく、全ての仕事を受けるしかない状況の時のお話です。

今日は、そんな駆け出しの頃にありがちな「ナメられる」ということに対する「屈辱」のお話です

きっとこれからクリエイターを目指す方は、仕事をしていく上で経験するかもしれません。そんな方のこれからの勇気になればと思います。

ということで今回は、「屈辱を糧にする僕は想いやストーリーのないものはデザイン出来ない、というお話をしたいと思います。

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「屈辱を糧にする」レンジでチンの居酒屋にビジネスを語られた日。

京都にある若者の街「木屋町」

先斗町の横の通りで、多くのクラブがあり、祇園の高級感とは反して、少しギラギラとした若者の遊び場スポット

そんな場所で僕のデザイナーとしての活動はスタートしました。

以前の記事でも書いたように、僕が働きながらデザイン活動をさせて頂いていた、僕にとって今も大切なオーナーさんの顔もあり、チョロチョロと仕事をもらうことが出来るようになりました。

関連記事 : 生まれて初めてデザインをしたお店が、デザイン料を未収のまま閉店した話。【僕が信じ続け掴んだ未来】

当時の僕は、仕事を選ぶ余裕もなく、全ての仕事を喜んで受けてました

とあるお店の、ロゴから何から全部をデザインさせてもらい、それが嬉しくて、デザインをさせてもらったお店に、初めて友人を食事に誘いました

1品500円程度の料理の数々は、明らかにショボく、だし巻き卵を頼んだ時にそれは確信に変わりました。

料理の全てが「電子レンジでチンしたもの」でした

次にクライアントにお会いした時に、「だし巻き卵くらい焼きましょうよー!」と、笑い話で言ったところ…

「うちコンロとか調理器具ないんですよ!」と、笑って返事が返って来たんですね。

加えて「大学生とかは全然あんなんで美味しいって言ってくれてますよー」と、ダメ押し。(基本的に100%のお客さんはキャッチで、リピーターなんていません)

僕は、自分が作り出すデザインに命を込めている中で、こんな血の通っていないことをビジネスだと熱く語るその人に嫌気が差し、一緒に仕事をすることを辞めました。(というより自然消滅した)

想いやストーリーのないものに対してデザインなんて出来ない。

僕はデザインにセンスはありませんが、クライアントの思いをデザインに込めるという部分に関しては、かなり長けていると自負しています。

要するに、世間からどう見られたとしても、まず僕はクライアントの意志をデザインで表現します。(僕のアドバイスが必要と言われたら意見も言います)

感動を知らない人が、感動を作れないのと同じで、僕はデザインに込める想いや表現力は「経験」だと思っています

根性論」とかで語りたくないのですが、やっぱりプロセスは大切で、その作品を生み出すまでにどれだけの苦労をして来たかは「最後に心に響くかどうか?」という部分で変わってくると思います。

要するに、クライアントの深みを表現するには、クライアントと同じような深みを持っていないと難しいということです。

僕のデザインから「感情」を感じるわけ。

すごく綺麗でオシャレなデザインでも、そこから感じる感情が「冷たさ」というデザインは結構あったりします。(愛を感じない浅い感じ)

正直、僕は美術館に行ったりして、ぶっ飛んだアーティスティックな作品を見ても、デザイナーとして恥ずかしいのですがいまいちピン来ません。

そんなアートより、どちらかと言えば、シンプルで分かりやすい、長渕剛さんが筆で描くメッセージにアートを感じたりします。(もちろん例外も沢山あるよ)

出典 : BARKS

僕は「お金や権力に縛られた世界なら生きる価値がない」と、19歳の頃に死も覚悟しました。(死にたいと思ってもそう簡単に死ねるわけはない)

だからこそ、自分が携わる仕事に対して「全力の愛」を届けたいと思っています。

僕が今を生きてる意味は「誰かの愛を、僕の愛を持ってデザインで表現する」ということなので。

きっと僕の作るものに「感情」を感じるのは、そういう部分なのかもしれません。

仕事を選ぶ根拠は「この人を勝たせたい」と思う人を選ぶ。

だからこそ「熱量が同じ人間とじゃないと仕事が出来ない」と思ってしまうことが多々あります。

が、その反面で、僕も大人になったのか、割り切る部分は割り切るで、ストレスすら感じない感情の脇道を見つけたりもしています。

僕が割り切れるようになった理由は、僕が勝たせたいと思う人を助けたいと思えるようになったからです。

その割り切りが、大切なクライアントの負担を減らすことにつながるのであれば、僕は喜んでその無意味な瞬間を「無」に変えることが出来るようになりました。

過去に僕が作ったデザインを自分の手柄(お金を払ったから)として、無許可でホームページに掲載する広告代理店がありました

本当に僕が勝たせたいと思うような、これからの時代に生き残る人間は、他人の努力を自分のものとは絶対にしないです。

そんなステキな輪に認められた人間は、愛を持って高みを目指せば目指すほど報われると思うし、そうなることを僕は信じて頑張っています。

想いは届くとはこのことで、作品に愛を感じれば、愛を持った人に絶対に出会えます

僕のような人見知りで、作品だけが前に立つ様な人間でも、きっと伝わります。

そんなステキな人に出会ったら、全力で勝たせてあげてください

あなたの道もきっと輝きます

一緒に頑張りましょう。

では、またね。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer