生まれて初めてデザインをしたお店が、デザイン料を未収のまま閉店した話。【僕が信じ続け掴んだ未来】
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生まれて初めてデザインをしたお店が、デザイン料を未収のまま閉店した話。【僕が信じ続け掴んだ未来】

2020.07.05
2020.07.03

どうも、コウタです。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動しています。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,200日(20206月現在)を突破しました。

外出自粛で運動不足やストレス発散が出来てない方は、僕が毎日欠かさずやっているダイエット効果バツグンの自宅トレーニングをまとめたのでチャレンジしてみてください。また、外に出て運動する方へ、これからの時期持っていると便利な「コスパ最強のランニンググッズ」を紹介したのでこちらも合わせてご覧ください。

今回は僕の思い出話(と近況報告)になるので、全然興味がないかもしれませんが、僕がデザイナーとして歩む中で必要不可欠だった経験なので、もし良かったら聞いてください。

まず、僕は独学でデザイナーを目指していたこと、大学を中退したこと、引っ越しして周りに知り合いが一人もいなかったこともあり、デザイナーになる夢へ進むことと並行して、人脈を作る必要がありました。

そのくせ僕は、人付き合いがヘタクソ(奥手で受け身なので)で、基本的には一人の時間が好きなので、なかなか人脈を作るのが上手くいきませんでした。(複数が苦手で、1対1とかなら大丈夫)

そんな中でも「人脈作り」と割り切って、色んなアルバイトに期限を決めて、デザイナーになる資金も同時に稼ぎながら働いていました。

少しずつ進んでるけど「デザイナーとして食って行く」には程遠く、夢を諦めて就職するまでのタイムリミットが刻一刻と近付いてきてるような気がしてました。

そんな中、ある人との繋がりがキッカケで、僕の夢は一気に前に進みました。

今回は「僕が信じ続け掴んだ未来」ということで、「生まれて初めてデザインをしたお店が、デザイン料が未収のまま閉店した」というお話をしたいと思います。

僕をデザイナーとして、背中を押し続けてくれた人との出会い。

まず、僕がデザイナーとしての人脈を作るために、色んなところでアルバイトをしていた中で、デザインの需要を考えれば「会社の社長(経営者)」と出会わないといけないと思ってました。

そんな時に「祇園(京都)にあるバーで働かない?」って話をもらって、即答で「やりたいです!」と答えました。

長くても半年間だけしか働かないと決めて、僕はすぐ紹介してもらったお店に連絡しました。

バイト面接の日が決まり、(一応)スーツでその場所に向かいました。

お店に着いてスタッフにバーの中で待つように言われ、店内を見渡すと、僕が想像していたより薄暗く、こじんまりして少し怖かったのを覚えています。(細長い店内で、入ってすぐカウンター席が並び、その奥にソファー席と、ダーツの機会が置いてありました)

そして、面接をしてくれる方が、時間に少し遅れて入ってきました。

見るからに高そうな服、時計やアクセサリーを着けて、キラキラと輝いていたその人は「遅くなってごめん」と、僕の前に座られました。

これが「運命の出会い」になるとは、その時は気付きませんでした。

面接が始まり、クソ真面目な性格の僕は「デザイナーになりたいという意思」も全て伝え、そんな想いが伝わってか、その場で面接は合格となりました。

その日から、研修(見学)をさせてもらうことになり、僕は初めてバーカウンターの中に入り、お酒の作り方や、接客の仕方を教えてもらいました。

実際にお客さんの対応もさせてもらいました。ちなみに過度の人見知りの僕は、そもそも接客が大の苦手で、終始ど緊張で足も声もガタガタです。

で、2時間程すると”閉店”とのことで、僕が「もう終わりですか?」って聞くと、スタッフに「もう1つお店があるから、これからそっちに移動してくれる?」と言われました。

よく分からず、言われた場所に移動。一旦お店の外に出て、隣のビルに入りそのお店のドアをノックしました。

中に入るとそこは「ホストクラブ」でした。

言われるがままに、開店準備の段取りや、ボーイ(お酒を運ぶ人)の仕事を教えられ、その日は練習だということで、何故かお客さんの席で接客をしたりしました。

「騙された」「やめたい」「帰りたい」って思いを抱いてた中、さっき面接してくれた方がスーツに着替え、お店に入ってきたのが見えました。

その方が僕のいる席に来て座ると「この子デザイナー目指してんねん」と、僕のことをお客さんに紹介してくれました。僕はこのお店のボーイではなく、あくまで「デザイナーの卵」として扱われたんです。

さっきまで「やめたい」と思ってた気持ちは「もう少し続けてみよう」という気持ちに変わりました。

僕のデザイナーとしてのデビュー戦。

「思ってたのと違う」と思いながらも、なんとか仕事を続けていました。

後に知ったんですが、実は面接をしてくれた人はそのお店の店長でした。

店長は時折、練習感覚でいいから「お店のポスター作ってよ」とか「フリーペーパーのデザインしてよ」と、自分のポケットマネーで僕にデザインの依頼をしてくれたりしました。(※ここからこの人のことを店長と言います)

そんなこともあり、僕は店長に強い恩を感じ、約束の半年は頑張ってみようと思えたわけです。(お酒を飲まされまくって酔いつぶれる日も沢山ありました)

そして半年間の期限を迎え、仕事(途中からホストクラブだけになってた)を辞めることになりました。

僕は店長に「お店をやめます」と伝えたところ「次にデザイナーとして会う時は、仕事は仕事やし、いくら俺でも容赦したらあかんで」と快く送り出してくれました。泣きました。(※この業界はなかなか仕事を辞めにくいのです)

そこから数ヶ月、店長から連絡が来ました。

ホストやめてバー出すから、ロゴとか全部デザインしてくれへん?

「もちろんです!」と答え、僕のデザイナーとしての1歩がスタートした瞬間でした。

自分のデザインしたロゴが初めて公共の場に出た瞬間の喜びを今でも覚えています。(嬉しくて友達を呼びまくりました)

そのバーは、普段は通常のバースタイルだったんですが、月に数回だけDJを呼んでイベントをしたりしてました。

僕はそこで従業員として働かせてもらいながら、お店の専属デザイナーとして活動させてもらうことになりました。

そこには沢山の人(店長の人望の厚さで)が来て、ここでも僕がデザイナーであることを紹介し続けてくれたんです。

僕が渡した名刺をお客さんが酔って捨てたのを見つけ、それを拾ってお客さんのカバンにねじ込んでくれたこともありました。

ここではホストクラブの時とは違い、デザイナーの仕事としてイベントのポスターも毎回依頼してくれて、僕はこの時から自分を「デザイナーです」と自己紹介出来るようになりました。

ここから沢山の輪が広がり、僕が今仕事を出来ているのは、この場所と機会を作ってもらったお陰と言っても過言ではありません。

デザイナーとして始まった、僕にとって深い想い出の場所です。

初めてデザインしたお店が、デザイン料未収のまま閉店した。

僕は店長に、デザインの請求書を渡しづらい(恩を感じているから)立場だったんですが、店長から「仕事には容赦するな」と言われたので、しっかり請求書を渡す様にしてました。

そこで働いて1年が経とうとしていた頃、少しずつ様子が変化していきました。詳しくはよく分からないのですが「お店の経営の悪化」が原因だと思います。

デザイン料の支払いが遅れて来たんですね。

その頃から僕は仕事が増えて来たこともあり、店長のバーでアルバイトすることも辞め、自然と店長とは少し疎遠になりました。

ある日、伝え聞きで「バーが閉店する」と聞き、僕の心に穴が空いた感じがしました。

僕はデザイン料が支払われていないということもあり、複雑な気持ちはありましたが、閉店する前にお店に行くことにしました。

店長に「お疲れ様でした」と伝え、僕は「一緒に飲みましょう」と、店長に1杯のドリンクを購入しました。

その時きっと、店長も気まずさはあったと思うんですが、「来てくれてありがとう」と言ってくれました。その帰りにお店の入り口で、二人で写真を撮った時のことを今も忘れません。

笑顔が特徴的(人を惹きつける様な)で素敵な店長ですが、写真に写る「満面の笑みの店長」とは対照的に、「複雑でぎこちなく照れくさがる笑顔の僕」がそこに写っていました。

そしてその数週間後、デザイン料は未収のまま、店長の存在は僕の前から消えました。

僕が信じ続け掴んだ未来。

本気で店長を探そうと思えば簡単に探すことは出来たし、デザイン料の未収だって言おうと思えばいつだって言える状況でした。

僕はきっと、複雑で辛さはあったけど、店長から受けた「数えきれない恩」を胸に、「前を向いて頑張ろう」と思ったんだと思います。(見ない様にしてたけど、SNSではずっと繋がったままでした)

共通の知人も沢山いたし、僕と店長の(家族の様な)関係を良く知ってる人も多かったので、「店長は今どこどこで〇〇してるよ」とか「こないだ店長に会ったよ」と、聞くことも沢山ありました。

その度に「そうなんですね!」と複雑な気持ちで返事してたのと同時に「店長との間にあったことを共通の知人には言わないこと」胸にを決めていました。

それが自然と行動に現れていたのは、心のどこかでずっと店長を信じていたんだと思います。

バーが閉店してからも、僕は決して自立したと言えるほどの収入を、デザイナーとして上げれてはいませんでしたが、なんとか少しずつ進んでいました。

そして、それから約5年の月日が経ちました。

止まってた僕の時間が進み始めた。

2020年6月某日。

見慣れないアイコンから、一通のLINEが届きました。

「遅くなってごめんなさい。デザイン料、支払える目処がたったから振込先を教えてください。」

店長でした。

今まで言われたこともない”敬語のメッセージ“から、”強い想い”と、”デザイナーとしての僕へのリスペクト”、そしてあの時と変わらない”優しさ”を感じました。

僕は、店長が今も大変な状況であることを察して「お金のことはもう大丈夫です」と伝えました。(コロナの影響をモロに受けてると思ったから)

すると店長は「これからも人としても、仕事相手としても付き合っていきたいからちゃんと払わせてくれ」と嘆願されました。

そしてその数日後、5年の時を経て僕にあの時のデザイン料が入金されました。

止まってた僕の時間が、また進み始めました。

 

 

そして僕のデザインがまた、”はじめまして”の地に届くことが決まりました。

僕も遅れて行くから待っててね。

「石垣島」


思い出話、最後まで読んで頂きありがとうございました。

では、またね。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer