【僕が背負うもの】会社会議で僕の意見が通ることが意味するもの。
どうも、コウタです。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し5年目となります。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,300日(2020年7月現在)を突破しました。
外出自粛で運動不足やストレス発散が出来てない方は、僕が毎日欠かさずやっているダイエット効果バツグンの自宅トレーニングをまとめたのでチャレンジしてみてください。また、外に出て運動する方へ、これからの時期持っていると便利な「コスパ最強のランニンググッズ」を紹介したのでこちらも合わせてご覧ください。
僕はフリーランスデザイナーなんですが、最近は会社に半専属・専属デザイナー(クリエイター)として所属し、単品のお仕事ではなく、継続的にクリエイティブに対して意見を出したりすることが増えました。
そして、様々な実績が増えていくのと同時に、任されたり、託されたりすることも増えてきました。(嬉しいね)
ただ、僕の心は周りからの見え方と違う部分があります。
僕という存在よりも、僕が作る作品や仕事のクオリティのイメージが先行し、自分の心が追いつかないまま、そっちの評価がグングン上がっているということです。
ということで今回は、「僕が背負うもの」会社会議で僕の意見が通ることが意味するものについてお話ししたいと思います。
僕が仕事をする上で背負っているもの。
僕が一緒にお仕事させて頂くのは、いわゆる超大企業というよりは、中小企業(ベンチャー企業)が大半で、将来的に大企業を目指す今イケイケの企業が多いです。(なので楽しい)
ただ、そういう企業に属するということは、従業員数も少人数で構成されているので「意見が通りやすい」ということです。
よく言う「組織は変わらない」ということはなく、コロナ渦中、今イケイケの企業さんは「傾聴力」に長けていて、色んなものを色んな角度から取り入れようと必死なんです。
そんな中で、僕のクリエイティブを信頼して、クリエイティブ担当として1席空けてもらっている状態です。
要するに、僕個人が会社会議でする意見や行動の重みは、僕だけのものではなくなっているということです。(僕がダメだった時、会社の成績に直結する)
だからこそ僕は、ただ納品をして終わりの仕事をするのではなく「会社の未来」を背負っていると思っています。
クライアントは僕を信じてくれているということ。
最近になって、クライアントさんが僕を強く信じて、良い意味で「丸投げ」をしてくれることが本当に増えました。
少し前までだったら、細かいところまで「あーだ、こーだ」言われて疲弊していたのが、今ではこの丸投げ状態のプレッシャーに吐き気がするくらいです。
それだけクライアントさんは、僕を信じてくれているということなんだなぁと思います。
僕は絶対に天狗にならないように「自分の作品のクオリティを過信し過ぎない」ということを戒めのように心にタトゥーとして刻んでいます。
そんなこともあって、僕が作り出すものへの(良い)評価を素直に受け取れない部分もあったりすることが、心と作品のギャップを生んでいるんだと思います。
僕の意志がこもったサービスやコンテンツを受け取る人がいる。
これまでは、僕の意見が会社によって着色され、最悪の場合は全然違ったものに変わって提供されることもありました。
最近はそういうことはほとんどなく、僕の意思がそのままこもった商品やサービスが提供されることが増えました。
そこで結果を残し続けているからこそ、仕事が増えてパンクしているというのは、ひとつの自分の自信に変わっていることは確かです。
そんな中で考えなければならないのは、クライアントさんの先にいる「ユーザー」のことを、これまで以上に考える必要があるということです。
僕は仕事として、まずはクライアントを大満足させることはもちろんなんですが、これまで以上に、その延長線上にある「結果」を想像して意志を伝えないといけなくなって来ました。
それくらい重要な仕事を任されることが増えたということです。(昔は簡易チラシとかばっかりだったんだよ)
愛を持って、愛を伝えていきたい。
実績が増えて来て、結果も伴って来た自分の感覚を大切にしてるからこそ…
「僕が泣けないものは、人もきっと泣けない」と思うように、僕が使いにくいものは人も使いにくいし、僕が分かりにくいものは人も分かりにくい、と自信を持って伝えられるようになりました。
そうなって来た時に、僕は結局「愛」だなぁと思うわけです。(唐突なしんみり)
要するに、僕が感覚を研ぎ澄ました先にあったのは、ユーザーに対する「愛」だったということです。
僕の1番の強みである「お金が嫌い」という部分が、人として生活する上での「愛」に純粋にフォーカス出来るんだと思います。
きっと貧乏を経験したり、それで家族を失ったり、独学でフリーランスになったり、そんな経験(苦労)があるからこそ、自分の感覚を信じることが出来て、それがユーザーに伝わってるんだと最近になって感じました。
そういう意味で、最近の時代には似合わない「根性論」も、まだまだ捨てたもんじゃないなぁと思っています。
「愛とかクサいよ!」って思われるかも知れませんが、僕は”作品やサービスの本質はユーザーのことを考えた究極の愛“だと思っているので、これからもそんな「愛」を伝えられるように頑張ります。
一緒に頑張りましょう。
では、またね。