
AI時代のクリエイターの「センス」について。
今回伝えたいことを要約すると、AI時代でも「それがセンスが良いか悪いかの判断」が出来なければ、クリエイターとして食えないよって話です。
AIを使って、誰でも便利に良いものを作れるようになったとはいえ、特にクライアントワークでは、相手にとっての「良い作品」を選べなければ意味がないですよね。
で、この間「あなたはやっぱりセンスが良いですね」と言われたんですが、それはきっと僕がデザイナーという職業を生業としているからだと思うんですよね。
じゃあセンスがない人はデザイナーになれないのか?と言えばそうではないと思います。
それは僕が「根本的にセンスのない人」だと自負しているからです。
ただ、僕が「センスが良い」と言ってもらえることには必ず理由があって、僕はそれを言語化する時に伝えるのが「センスが良いものを見る環境に自分を置いた」というだけだと思います。
要するに「嫌でもそれが目に入る環境を作った」というだけで、元々僕にそれを見つけるセンスがあった訳ではなく、目に触れる環境にいたからこそ「その感覚が普通になった」というだけです。
例えば(日本を蔑んでいる訳ではなありませんが)、日本のど田舎に住んでいるよりも、東京にいるだけで触れる情報は変わって来ると思うし、フランスのパリ、アメリカのニューヨークなど、芸術やファッションの最先端に身を置くことで得られる情報は変わって来ますよね。
そんな感覚で、僕は「センス」というものを捉えているので、良くも悪くもネット社会の中で「誰でもどこでも出来ること」だと認識しています。
もちろん現地で得られる情報に勝るものはありませんが、「私は田舎に住んでるから…」とか「やっぱり都会は違いますね…」なんてことが言い訳になるようなネット社会の中で、触れる情報にはこれからも気を付けていきたいなと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。