もしも僕の人生に「リセットボタン」があったとしたら。
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もしも僕の人生に「リセットボタン」があったとしたら。

2021.09.30
2021.09.30

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

最近、よく自分の人生について思い返したり、これからを想像して考えたりする機会が増えてきました。

皆さんにもあると思うんですが、何が正解で何が不正解なのかなんて正直その時には分からないと思うんですよ。だけど僕らはそこで1つの選択を絞っていかないければならない、それが人生ですよね。

ということで今回は、もしも僕の人生に「リセットボタン」があったとしたら、というお話をしたいと思います。

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自分のたった1つの行動で変わる未来。

『あの時こうしていれば…』って、皆さんの人生にも沢山あると思うんです。

人って皆んな、自分が選択したからこそ生まれた今』を美化したいというか、それが正解だったと思いたいというか。でも、それは確実に結果論であって、少なからず『あの時こうしていれば…』という後悔に近いような感情ってありますよね。

未練とか、後悔とかとはなんか違って「今の自分はこうだから間違ってないんだ!」みたいに、自分の心に言い聞かせて、言い聞かせて、それで自分を納得させて、そして時間が過ぎていく。

人生って、2つの選択肢があった時に、自分の身体(人生)は1つしかないからこそ、そのどちらか1つしか選べない状況って確実に生まれると思っていて、その時の状況や環境、感情によってその選択は紙一重の状態でその先の人生が変わっていくんだと思います。

もしも2つの選択肢を選べたとしたら。

例えば、自分が気になっている「カレーライス屋さん」があったとして、今日はA店に行って、明日はB店に行ってってことで、その体験って2日あれば2つとも味わうことが出来ると思うんです。

でも、「大好きなスポーツ選手の引退試合」が被ってしまった時は、どちらかを見に行くことしか出来ないわけです。どっちも見たかったけど、どちらか片方しか見れない、そんな状況があるからこそ後悔や未練が生まれるんですね。

そういう時って、どっちの引退試合に行く事が正解だったなんて分かんないですよね。どっちに行って、どっちの体験をしたかを試した上で、その先の人生を選ぶことは出来ない。

もしかしたら、Aさんの引退試合では得られなかったことを、Bさんの引退試合では得ることが出来て、そこで耳にした言葉や、会場で体験したことによって、自分の人生が1と100くらいの差で大きく変わったかもしれない。

人生って、そんな究極で、理不尽な選択を迫られることの繰り返しなんだなって…。もしも2つの選択肢を選べたとしたら、「その先の未来をまずは先に見てみたい」って思うことなんかは皆さんもあると思います。

自分の選択を美化して生きるのが人生。

僕の人生は、自分が感受性が豊かで、人一倍思いやりという部分で生きていて、自分でいうのもなんですが「」とか「」とか「」とか、そんな部分で生きてきたからこそ、その選択を『自分の意思以外の要素』で選んで生きて来たんだなと思います。

だって僕、親父が借金を抱えて、両親が離婚した時に、自分は関係ないからと逃げ出す選択肢だってあったわけだし、もしかしたら、その先の逃げ出した人生の方が幸せだったかもしれない。(でもそれを知る術がない…)

ただ今は、今を生きているからこそ、「あの時逃げ出さなかったからこそ今がある」っていう形で、自分の考えを尊重して生きていかなければ、それは要するに『後悔を背負って生きる』ということになってしまうし、そんなことをしていたら自分自身が壊れてしまう。

だからこそ、その道の先で大切な人間に何度裏切られても、何度傷付くことがあったとしても、「自分が選んだ人生だから…」って、今を美化して、今が正しいと思って笑って生きるしかない、そんな辛さってあるんですよね。

もしも僕の人生に「リセットボタン」があったとしたら。

今回の発信のテーマでもある、もしも僕の人生に『リセットボタン』があったとしたらってことなんですが…。

言って良いこととダメなことは勿論あるんですが、僕ホントにシンプルに目の前に『痛みを伴わないリセットボタン』があれば、秒速で押してるような人間だと思います。

それは、自分の人生に対して『後悔のない毎日』を歩んでいるからこそであって、自暴自棄に今を投げ出しているわけじゃ決してありません。

昔から言ってることなんで、よく友人からは「そんなこと言ってる奴は長生きするわ〜」と言われますが、僕は40代で生涯を終えられたらって本気で思ってます。

感受性が豊からだからこそ、人一倍「喜怒哀楽」に敏感で、感情に浮き沈みがあるからこそ、やっぱり普通に生きているだけで疲れるんです。

で、人間って自分の過去を都合よく解釈してしまう傾向にあって、心理学的にそれを『記憶の変換』と呼んだりするそうで、しっかりとした研究結果も出ているそうなんです。

特に僕のような、愛とか恩とか情とか、そんなことを大切にして生きて来た人間には、「この人は過去にこんなことをしてくれた…」ってことが、今の選択に与える影響が大きいってことをすごく敏感に感じて、それで色んなものに巻き込まれて、自分を制限して、痛めつけてしまっている自分がいるんですね。

関連記事 : 人の都合に巻き込まれ、振り回されて生きてきた僕が今思うこと。

そうなってくると、それは自分の人生なのか、誰かのための人生なのか分かんなくなって来ることがあって、そんな感情に襲われた時にふと、人生に『リセットボタン』があったとしたら、迷わずに押すだろうなって思う瞬間は過去にも、そして今も沢山あります

「リセット = 死にたい」って意味もないことはないですが、そこまで極限的なことではなくて、どちらかといえば何もなかったところからやり直したいって感覚に近いです。

今回の発信で「それ分かる!」って思った人は、(自分で言うのもなんですが)きっと『優しい人』なんだと思います。もし、そんな時はこうすれば良いとか、こう解釈すれば良いよとかあれば、ぜひ教えてもらえたらと思います。(それを聞いてまた僕も発信していけたらと思います)

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer