人の都合に巻き込まれ、振り回されて生きてきた僕が今思うこと。
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人の都合に巻き込まれ、振り回されて生きてきた僕が今思うこと。

2021.09.27
2021.09.27

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

『お前は感受性が豊かだから…』と言われたらそれで終わりなのかもしれませんが、僕は一度、19歳の頃に自分の人格そのものを殺し、感情を無にしないと生きていけないような心の状態になったからですね。

久しぶりに昔からの友人に会えばよく『人が変わったなー』とか『丸くなったなー』と言われるくらい、僕の人格が変わったというよりは、あの当時から新たな自分として生まれ変わったという感覚だったりします。

ということで今回は、人の都合に巻き込まれ、振り回されて生きてきた僕が今思うこと、についてお話ししたいと思います。

今回の内容は、僕が不満に感じていることを書いているので、不快になられる方がいるかもしれません。事実ではありますが、『そんなもの読みたくない!』という方はここで閉じてもらえたらと思います。

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人の都合に巻き込まれた人生を生きて思うこと。

子は親を選べない」とはよく言ったもので、将来的に離婚をする親なのか、借金をして飛ぶような親なのか、人生の岐路で子供の可能性を消すような親なのかを把握した上で、生まれる場所を子供は選ぶ事はできません。

僕が生きてきた人生の中で、『結果オーライだよね』と笑い話では済まされないような苦労は、今も昔も沢山あって、『あの時僕が望んだ風にしていたら…』なんて思う後悔も腐るほどあります。

僕は19歳に感情を失った頃から、綺麗事でも何でもなく「人のため」に生きていて、自分のためだけに生きて行く道を選んだとしたら今はこの世にはいないと思います。(痛みを共なわい人生のリセットボタンがあれば秒で押してます

そんな考えで生きている今の僕にとって、後悔が生まれるのがどんな時かを考えた時に、「信じたことが裏切られる時」だと思ったんですね。要するに、自分の幸せを願って生きていない僕にとって、「自分のプライド」や「自分の人生」を守るためだけの行動が相手から見えた瞬間とかです。

家族に裏切られたり、騙されるなんて事は、基本的には考えられないようなことではあるんですが、僕が生きてきた人生では、そう行ったことを何度も目の当たりにし、自分自身も経験して来たという過去があるんですね。そんな瞬間を間近で見て生きて来たからこそ、僕の心の裏側にはものすごく大きな闇があったりします

その度に、自分に都合が悪くなれば、平気で過去をなかったことにしたり、美化したり、今の自分にとって都合の良いように書き換えていく、人間というのはホントに都合の良い生き物だなとつくづく思います。

「やりたいこと」を去勢されて。

僕の親は、僕が高校卒業後に『コンピューターの専門学校に行きたい』と言った時に、『専門学校では卒業後に就職が出来ないからそんな無駄な学費は払えません』と言って、僕の1つ目の可能性を消しました。(半強制的に4年生大学に行かされて目的を見出せずに1年後に中退しました

他には、アルバイトをしようとした時も、『水商売(夜の店だけじゃなく居酒屋までも含む)で働いたらあかん』と言われたり、フリーランスのデザイナーになると勉強を始め出した時も、『就職しないと仕事の依頼なんか来る訳ない』と言われたり、時にはバカにされたり、沢山の可能性を消されそうになりました。

結局僕の読みは当たり、コンピューターの専門学校に進学が出来なかった事実がある中で、少しずつ時代は変わり、一家に一台のパソコンが当たり前になり、一人に一台スマホ(携帯)が当たり前になり、確実にパソコンを使った仕事の需要が増えて来たことを肌で感じるようになりました。

そこで自分の将来の目標に「フリーランスデザイナー」という選択肢が明確になり、改めて『専門学校にはいけなかったけど、独学で頑張ってみよう…』と思うことが出来て、(他に別の想いはありますが)僕はデザイナーになるという夢に向かって動き出したわけですね。

思い返せば、それまでの人生では「親の言う事は絶対です」というくらい、僕自身は結構な良い子ちゃんで育ってきたつもりですが、フリーランスデザイナーとして自立して生きていけるようになって来た中で、自分の意思(やりたいこと・信じたこと)を最優先に選択するようになりました

結果、僕のデザイナーとして初めてもらった仕事は、親から反対された『京都の祇園で社長さんとかの人脈を作るんや!』って飛び込んだアルバイト先のお店の店長からで、それが今のクライアントさんにも繋がっていて、あれだけ『フリーランス(非就職者)なんて信用はない!』とバカにされた働き方も、コロナという時代の影響もあって、その働き方は一気に注目を浴びるようになりました。

正直、僕にとって「親の助言を聞いて成功した事実」なんて、ここまでの人生に至るまでたったの1つもなかったんですね。全部、親の意思を反して、時には家で仕事をしていることを煙たがられ、バカにされながらも、自分が信じ抜いたことを貫いたからこそ掴めた今なんです。

『最終的にお前が決めた道だろ!』と言われたらそれまでなんですが、自分がやりたいと言ったことに対して否定される環境とそうじゃない環境では、まだ意志が固まっていない人間にとって、不確定なことに心を強く持って生きるのは難しいことだと思います。

「自分色に染めたい」という思惑の意見には気をつけろ。

見方によっては『それも親の優しさだよ…』という風に捉えることも出来ると思うんですが、自分自信が経験して来なかったことを、あたかも経験したことのように、偏見だけで『ダメだ!』って子供に押し付けるみたいな事は、ちょっと違うと思うんですね。

それって、ただ自分が嫌いなだけで、それを相手に強要しようとしているだけの「自分色に染めたい」という思惑のある自己中な意見だと思うんです。(宗教やビーガンを押し付けてくるような人と一緒です)

自分色に染めようとする割に、だからといって、その人自身が幸せになるかならないかは最終的にその人自身の責任になり、結局のところ、親目線だけで言えば「親の言った通りになる人生が親にとっては一番幸せな子供の人生」になるわけです。(そら自分にとってのYESマンは可愛いですよね)

結局のところ、その人自身が未経験で、やってもないのに好きか嫌いか、出来るか出来ないかを判断したような助言なんて、ただの「エゴ」でしかないわけですね。

不満ばかり言っていますが、親から学んだ道徳的な教育として、『五体満足で生まれたんだから、身体に穴を開けたり(ピアス等)、刺青を入れたりして、身体を自分から傷つけることはやめてね。』って言われたことなんかは、今も大切に心の中に残っていて、しっかりと守っています。

家族のために「仕事を継ぐ」と決意して迎えた未来。

で、僕は最近になって『もう人の人生には振り回されない』ということを心の中で強く決めました。先ほども言ったように、これまでの人生で上手くいったことは全て、自分が逆境の中で信じ抜いて来たことでしかないからです。(否定してた人に限って後から『あの時よく頑張ったなぁ』とか自分も協力してたかのように言ってくるよね)

で、僕は2年前に『後継がいないから店を閉めようと思う』と、経営が悪化している家族の事業に関しての相談を(母親からも)受けて、僕はフリーランスでどこでも仕事が出来るという利点があったので、『誰もいなけりゃ俺がやる』と決心して、そこからその事業に関する勉強を始めました。(勉強なのでもちろん給料はもらわずに

工場での現場仕事になるので、僕はフリーランスであるにも関わらず「通える範囲で生活すること」を制限されたこともあって京都に残ることになり、クソ高い京都の家賃をデザイナーの仕事で稼いだお金で支払いながら京都で生活をすることになりました

ただ、勉強期間中はずっと無賃で働いていたこともあり『これだけ時間を使って継がせてもらえなかったら怖いなぁ…』と不安を感じたので、条件として「継ぐ方向でいくなら正式に契約書を交えて欲しい」という希望を話して、家族も全員その通りに動くという方向で決まったんですね。

で、それが2年後どうなったかと言えばなんですが…。
(デザイナーをやりながら)片手間に仕事なんか継げるわけがない」という感じの言い分で、僕の知らない間に継ぐ話がなかったことになったんです。(「片手間」というつもりは一切なかったんですが、そういうスタンスが気になった職人気質のプライドかなんか知りませんが…)

その方針を聞いた家族から『もう京都から出ていいよ…』と普通に言われ、これまで家族の事業のためにクソ高い家賃を払っていた僕の人生はなんだったんだと思ったし、この人たちは人の覚悟とか痛みを想像出来ない人なんだなと改めて思いました。(1年前に決まってたんだったらそのとき言えよ)

その時は、ここ2年支払ってたクソ高い家賃の幾らかを回収してやろうと、ホントに悔しくてブチ切れかけました。(しなかったけどね)

もう人の人生には振り回されない。

僕の人生って、ホントにこんなことばかりなんです。(19歳のことからずーっとそう)

人が好きで、人を信じたいけど、家族ですらこうだから、少しずつ疲れて来ちゃうんですね。(って言ってたら、自己破産した親父が僕名義で借りているアパートの管理会社から家賃滞納の電話が鳴りました…もう…しんどい…)

自分の人生は自分で切り開いて、自分だけのためならば生きていくことは余裕で出来る環境まで来れたのに、家族含め、誰かと関わることで生きづらいと感じる人生には、正直もう嫌気がさして来ました。自分のことしか考えず、人にしたことを軽く感じ、平気な顔して今日も生きている人間にすごく腹が立ちます。

家族とか、友達とか、結婚とか、子供とか、もちろん良いものであることも知っているし、そこに大きな1つの幸せの形があるのも分かってはいるけど…。僕は自分の人生を歩む上で、自分の家族を見ていて、そんな当たり前が幸せで、それだけが希望だなんて手放しに言えないなと、最近本当に強く感じています。

今はホントにしんどい時期で、なんとか抜け出そうと頑張っていますが、今を放棄して貯金だけで生きれたとしても、将来的に生きて行くにためには、今のお仕事を頑張ることがすごく大切な時期でもあるんですね。

そんな状態で、毎日のように嫌なことが色々と重なりますが、自分を騙し、ごまかし、そして時には心を「無」にしながら、今をなんとか生きています。(しんどいけど踏ん張り時だ)

今日は、溜まっていたモヤモヤをグチっぽく、そして感情的にお伝えしてしまい、不快な気持ちになられた方がいれば申し訳ございません。でも、いろんな人がいるし、それぞれの見方や考え方はありますが、これは僕が感じた感情として嘘偽りない事実です。(でも負けないよ)

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer