新型コロナウィルスで見えた、一人ひとりの行動と責任感の裏にある、それぞれが守りたいと思うもの。
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新型コロナウィルスで見えた、一人ひとりの行動と責任感の裏にある、それぞれが守りたいと思うもの。

2020.05.12
2020.05.11

どうも、コウタです。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動しています。2016年から禁煙をキッカケに始めたランニングは20203月で1,400日を突破しました。(※現在は外出自粛の影響で自粛中です。)

外出自粛で運動不足やストレス発散が出来てない方は、僕が毎日欠かさずやっている自宅トレーニングを以下の記事にまとめましたので良ければチャレンジしてみてください。

【自宅で出来る】在宅ワーカーお勧めの自宅で出来る運動不足解消・ストレス発散・脂肪燃焼トレーニング on Youtube【外出自粛/#StayHome】

いつからだろう。新コロナウィルスに危険を感じたのは。1月末くらいからだったと思う。

京都に住んでることもあって、中国の旧正月「人気観光地ランキング1位が日本」、その中でも京都は特に人気だってことも言われてたし、なにより普段から街で見かける中国人の多さは肌で感じてた。

「もしかしたら日本も同じようになってしまうんじゃない?」って考えるには十分過ぎたから、すぐにヤバいって思って行動した。それもあってマスクや消毒スプレーとかは何とか準備する事が出来た。その数日後には、お店から姿を見ることがなくなってた。

今でこそ当たり前のように多くの人が気を付けてますけど、当時の僕はちょっと異常な人に見られてたかもしれません。「なんでそこまで神経質になってんの?」って。そんなこんなで、在宅ワークなのもあり、僕の外出自粛も3ヶ月を越えました。

今回は、とある日にスーパーに買い物に行ったときに見かけた状況で感じた、「新型コロナウィルスの自粛活動で見える、一人ひとりの行動と責任感の裏にある、それぞれが守りたいと思うもの。」について、お話ししたいと思います。

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新型コロナウィルスの自粛活動で見える、一人ひとりの行動と責任感の裏にある、それぞれが守りたいと思うもの。

前書きでも言ったように、僕の外出自粛も3ヶ月を越えることとなりました。

基本的に以前から日中は外に出たりしないのですが、4年間毎日欠かさずやってた夜のランニングを自粛することになり、買い物に行く時以外は外に出ることがなくなりました。

久しぶりに外で息抜きしたいなって思って散歩しようとしたら、京都ってこんな状況でも公園とか意外と人がチラホラいて「皆やっぱりみんな考えることは同じだなぁ」と思い、そこから無理に出ようと考えることはやめました。

きっと自分だけのことなら、そこまで神経質にならないと思うんですけど、今回に限っては自分の行動で周りの大切な人に被害が及ぶ可能性もあるって考えたら勝手な行動は出来ないですよね。

家族も近くに住んでいるのに、不要不急なこと以外では会うこともしていません。家族だからこそ、会わずにやり取りすることを決めました。

僕はこの外出自粛で「大切な人を守るために、やれることをやる。」と決めたからです。後悔だけはしたくないんで、いつも通り何事にも本気です。

偶然スーパーで見かけた、ある光景に感じた人としての「感情の欠損」。

たまにスーパーに買い物に行くと、ほとんどのお店の入り口にはアルコールスプレーが置いてあって、皆んな当たり前のようにマスクをしてるし、入店する前にもキチンと手を消毒して入って行くんですね。数ヶ月前までは、皆んな意識すらした事なかったのに。

「本当に偉いなぁ」って思って見ていたら…。

マスクもせず、目の前にあるアルコールスプレーに見向きもせず、ズカズカとお店に入って行く人がいたんです。思わず「え?」って声が出てしまいそうになるくらい驚きました。

その帰り道はずっと、「何であの人はそういう行動が出来るんだろう?」って考えて帰ることになりました。怒りとかはもう通り越して、疑問に変わってたんですね。

例えば…

  • コロナ予防に関する情報を仕入れられてなかった。
  • マスクが手に入らない。または作れない。
  • アルコールスプレーが見えなかった。
  • 買い物に寄る予定はなく、準備出来てなかった。
  • シンプルに急いでいた。

色々考える中で、「感情の欠損」という結論に僕は行きつきました。

好きな人が出来た時って、自然とチラチラ見てしまうとかありますよね?きっとそれは好きだって感情が、気になるって行動に移してるんだと思うんです。

そんな感情の部分での欠損が、こういう無責任な行動を生んだんだと僕は思いました。

僕も経験した感情の欠損。それは自分だけの責任じゃなく、愛を感じられない人に愛を与えることは出来ないということ。

人って心が病んでたりすると、愛情を皮肉に感じたり、それこそ愛情を一切感じることが出来なくなる時があるんですよね。僕自身もそうでした。

そんな正常じゃない状態から抜け出すのは、周りの協力なしではかなり難しいし、自分の力で乗り越えることが必要になってくる。なかなか出来ることじゃないです。

心が病むと、世界が鬱陶しく感じて、全てに投げやりになったりするくらい心が荒んでしまいます。だから強く責めたてても意味がないし、逆効果だったりするんですよね。

ただこの状況下で言えば、「一人の行動で家族だけじゃなく不特定多数の多くの命が奪われる可能性がある」って中での行動なんで、「お前のことは知ったこっちゃねぇ」って思ってしまうのも正直なとこです。

ただ、あの状況を考える上で、そんな風にあの人を落ち着けたって感じです。

きっとあの人も、自分のこと以上に守りたいと思う存在があれば、マスクは持ってなかったにしても、アルコールスプレーで消毒することくらいは出来たんだろうなって思います。

クサイとか言われるけど、やっぱり愛で動ける人って素敵やなって思います。

きっと医療従事者も義務で人を守ってはいない。そこに愛がなかったら、この状況で自分の命を懸けることなんか出来ない。

医療従事者本人の家族ならまだしも、自分の命を懸けられることの先には愛があると思うんです。そんな極限の状況になったことがないから僕には想像することも出来ない。

海外のニュースで見る、人工呼吸器が足りなくて、助かる可能性が低い高齢者の人工呼吸器を外し、これからの未来を担う若者へ移す時の悲痛の叫び。

もう僕はあの映像に目を向けてられない。

そんな状況が、今の日本のどこかでも起こりかねない状況なのかもしれないし、命を救えなかったことで肩を落としている医療従事者の方々がいらっしゃると思う。

コロナが日本に少し遅れてやってきたお陰で、僕らはそれを海外の多くの犠牲の元に知ることが出来た。だからそれを見ていた僕らが命のために託された「外出時のマスクの着用」「手洗い・うがい」「三密を避ける」「不要不急の外出自粛」っていう、たったこれだけのシンプルなことを誰もが守っていかなきゃ行けない。僕はそう思うんですね。

僕らが命の危険をそこまで感じることなく生活が出来ているのは、命を懸けて戦ってくれている多くの愛があるからってこと、絶対に忘れちゃいけないし、もっと知らなきゃいけないって思う。

今、僕ら一人ひとりのがやるべき行動は、もう既に「家族や友達のためだけじゃなく、世界に生きる全ての人たちのために出来る愛のある行動」です。

外周自粛で疲弊しがちだと思いますけど、こんな時こそやれることって沢山あります。

普段やれないことを精一杯楽しんで、一緒に頑張りましょう。

では、またね。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer