異国文化、菜食主義、同性愛者、全部引っくるめて人間。それぞれの正義にリスペクトを持って生きればいい。【否定は機会の損失】
僕は新興宗教とかネットワークビジネスとか僕は一ミリも興味ありません。
僕は神は信じないけど自分自身を信じていますし、大きなネットワークに属さなくても自分でそれを築いていきます。でも自分と考えが違うからといって否定から入ることはしません。絶対に。
皆んなの正義を分かり合えてこその平和がいいなって思います。
どうも、コウタです。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動しています。2016年から禁煙をキッカケに始めたランニングは2020年3月で1,400日を突破しました。(※現在は外出自粛の影響で自粛中です。)
外出自粛で運動不足やストレス発散が出来てない方は、僕が毎日欠かさずやっている自宅トレーニングを以下の記事にまとめましたので良ければチャレンジしてみてください。
【自宅で出来る】在宅ワーカーお勧めの自宅で出来る運動不足解消・ストレス発散・脂肪燃焼トレーニング on Youtube【外出自粛/#StayHome】
この便利で情報に溢れかえってる社会の中で「機会の損失」なんて無いんじゃない?って思うんですけど、僕は実際結構あると思ってます。
今回は、それぞれの正義を持って生きてるのだから、単なる否定をしていては「機会の損失」になるということについて、実際の経験をもとにお話ししたいと思います。
Index
この時代における「機会の損失」は、実はかなり多いのに気付きづらい。
一昔前、スマホなんて無かった時代は情報自体を仕入れるのが難しい状態でしたよね。僕が今31歳なんで、生まれたばかりの頃は肩から掛けるハンドバッグくらいのデカさの携帯でした。
それが今は、一人一台、パソコン同様の情報量であるカードサイズのスマホ時代ですよね。
昔は毎朝のように親は新聞を広げて「新聞を読まないと経済が分からない」と教えられたりしてましたけど、今は新聞社もニュースアプリを持つようになったり、これまでテレビを通じて発信してきた政治家の人達も、SNSで直接情報を発信したりは当たり前ですよね。
だったら「全く機会損失してないじゃん」って言われると思うんですけど、新聞、テレビ、スマホ、それぞれの時代で仕入れられる情報量は全く違うんですけど、自分の好きな情報だけを取り入れること自体はいつの時代も「機会の損失」になるんじゃないかなって思います。
要するに情報の偏りですよね。自分が良く見る情報先の意見と違うことをいう人がいたら、寄ってたかって叩きに行くみたいな風潮がそれだと思います。
食事と同じで「情報の偏り」は良くない。適度に幅広くバランス良く。
僕20代前半の頃にお仕事で知り合った方と仲良くなって、「一緒にご飯食べに行こう」って、行ってみたんですね。
なんか前々から軽くは聞いてたんですけど、そのうち「私この食品を食べるとこういう風に変わったの…」って感じの話になり、小冊子みたいなものまで出てきて、さらに「紹介したい人がいるから」とボスみたいな人が出てきて…。はい、お察しの通りです。
実際商品を購入することはなかったですけど、その方とそこで縁が切れたってことはなかったですし、嫌な思いをすることも無かったですね。それはなんでかって言うと、僕がその情報を知ってみたいと思えたからです。
世間で色々言われてるこういうネットワークビジネスのイメージって、そのワードを聞いただけでNGな人多いですよね?確かに押し売りみたいな感じのウザいイメージもありますけど、実際に調べてみると商品は自体の品質は良いものがあったりするんですよね。
全部が全部じゃないですよ。たまに「は?」って思うものもありますけど、それはネットワークビジネス以外にも多々あることなんで。
いわゆる、ネズミ講のようなビジネスに携わってる人のイメージって、結構壊滅的だったりしますけど、話を聞いてみれば、利益を得ようとしてる人もいるし、商品が本当に良くて紹介してる人もいました。宗教だってそうじゃないですか?
僕は無宗教なので神頼みなんてよく分からないけど、神社とかお寺とかに行けばしっかりと祈ります。でもそれは神とかへの信仰ではなく、僕の場合は自分に言い聞かせ念じる時間です。
実際、ネットワークビジネスって健康食品とか美容関連が多いと思うんですが、別に宗教団体じゃないんで、みんなが思うスピリチュアルなことだけじゃなくて、本気で栄養学を学ばれてる人もいたりするんで、そういう人と話してたりすると自分も勉強になったりしますよね。
結局、その話を聞いて行動するのは自分なんで、情報自体を拒絶する理由はないということです。聞いてみると新しい発見があるかもしれないですしね。
情報に溢れた世界だからこそ「情報の偏り」を避け、幅広い情報を仕入れた上で処理・行動する能力が求められる。
ダウンタウンの松本さんが昔コントの子供役で、「世界の貧しい国ではご飯が食べられない子もいるからご飯を残すな!」と母親に怒られるシュチュエーションで…
「貧しい国の子も1回に食べられる量が一緒じゃ!」
と、怒鳴り返してたのを見て、「僕はその状況を見たこともないし、実際にそうなったら確かにそうかもしれない」と変に納得してしまったんですね。
僕らの周りに情報が溢れてて、今の時代に誰が正義で誰が正しいなんて優劣を付ける方が難しいと思ってます。だから昔よりもこれからの方が、もっと幅広い情報を取り入れる必要があるんですね。それを可能にするツールも沢山あります。
じゃないと他人やグループ間で否定し合う状況が生まれちゃうんで、それって全然平和じゃないじゃないですか。そんな事だから戦争は終わらないんですよね。
皆んなそれぞれの正義を持って戦うんじゃなくて、正義を分かり合おうとしないといけないんです。
分からないことって嫌いなことって解釈しちゃうんですよ。だから知った上で行動しないといけない。
異国文化、菜食主義や同性愛者、全部引っくるめて人間だから、それぞれの正義を持って生きればいい。そしてその正義を皆んなでリスペクト出来たらいい。
僕はお肉が大好きだけど、ベジタリアンやビーガンの人だっている。僕はその人にお肉を食えと押し付けたりもしないし、ビーガンの人と食事をする時はビーガンの方に配慮したレストランで食事をする。こうやって仲良く出来てるお友達もいます。
あとはゲイのお友達もいます。以前に僕はピュアな気持ちで「子供はほしくないの?」って聞きました。「そんなこと聞いたら失礼」って思う人もいるかもしれなけど、笑顔で「彼といるだけで幸せだ」と言ってました。良いじゃないですかそれで。
なんか嫌いなんですよ。心に思いを隠して生きるの。
自分がネガティヴなイメージを持ってるからこそ聞けないってことだし、それは相手に絶対伝わってるし、一番失礼なことだと思います。
そんなことより「なんで?」って聞いてあげた方が、自分に興味を持ってくれてるって嬉しいし、そこに信念さえあればお互いをリスペクトする気持ちは必ず持てると思います。
僕も頭が固いなって思う時もあるんですけど、そんな時こそこういう考え方にシフトするように心掛けてます。
これからのリモート時代で、人種、異文化、問わずに世界中の多くの方と自然に繋がれる感覚を持てるように一緒に頑張りましょう。
では、またね。