劣等感や嫉妬心をハングリー精神に変える。自分が劣ってると認められる心は素晴らしい才能。【負けを認められる人が成長する】
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劣等感や嫉妬心をハングリー精神に変える。自分が劣ってると認められる心は素晴らしい才能。【負けを認められる人が成長する】

2020.05.19
2020.05.19

どうも、コウタです。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動しています。2016年から禁煙をキッカケに始めたランニングは20203月で1,400日を突破しました。(※現在は外出自粛の影響で自粛中です。)

外出自粛で運動不足やストレス発散が出来てない方は、僕が毎日欠かさずやっている自宅トレーニングを以下の記事にまとめましたので良ければチャレンジしてみてください。

【自宅で出来る】在宅ワーカーお勧めの自宅で出来る運動不足解消・ストレス発散・脂肪燃焼トレーニング on Youtube【外出自粛/#StayHome】

有名人とか、周りで輝いてる人を見て劣等感を感じることありますよね。

例えば、良い車乗ったり、良い家に住んだり、幸せな家庭を持ってたり、仕事が楽しそうだったり。それに対して「自分は?」って比べた時に上手くいって無かったら、「羨ましいなぁ」って思ってしまいますよね。

要するにそれって「嫉妬心」ですよね。

僕は友達が大学に通ってる時期に、家庭の事情で家族の生活のために働いてた時期が2年くらいありました。そんな中で周りの同年代の子達はどんどん就職していって、車買ったりとか、旅行行ったりとか、仕事で成果を上げてたりとか。

2年も遅れてるくせに、デザイナーになりたいって夢を持ち。活動を始めたは良いけど、独学でスキルもない自分に急に仕事なんてもらえるはずもなく、バイトでお金を稼ぎなら自己投資をする日々。フリーランスになっても最初は収入無しなんて月も当たり前にありました。

そんな状況に「自分は何してるんだろ?」って思うことも何度もありました。でもそこで「どうせ俺なんて」って思ってたら、きっと今の僕はなかったと思います。

今回はそんな僕が人生を変えることが出来た経験をもとに「負けを認められる人が成長する」ということで、劣等感を抱きながらも夢を実現させた今に至るまでの気持ちの変化についてお話したいと思います。

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劣等感や嫉妬心をハングリー精神に変える。負けを認められる人が成長するということ。

僕がもし今の夢を持てなかったら、やりたいこともないのに、皆んなから数年遅れて肩書きもなく就活して、それとなく就職して、それとなく生活を送ってたんだろうなって考えるとゾッとします。

別にその平凡さがダメなわけじゃないんですけど、やっぱり周りの友達が当時すごく輝いて見えてて、自分も「あの場所に行ってみたい」って憧れが強かったんですよね。

もちろん努力はしてましたけど、きっと高校卒業するまでは努力が報われることが多く、順風満帆な人生を歩んで来れてたこともあったと思います。

デザイナーになろうと勉強する中で、家族に作ったデザインを見せた時、返して欲しい反応と違うことにイライラしたり、周りから「今何してるの?」って聞かれた時に「デザイナー目指してる」って胸を張って言えなかったり。今思い返してもすごく悔しい時期が長くありました。

でも20代前半の頃の僕は、その時感じた「劣等感」を自分で上手くコントロール出来なかったんです。全てを「怒り」に変えてしまってたんですね。

きっとそれは負けを認めたくないって思ってたからだと思います。

劣等感にイライラしたり、落ち込んだり。負けを認められなければ情報は入ってこない。

イライラしたり、落ち込んだり。要は感情的になってしまってる時って上手く情報が入ってこないし、伝えることも出来ないですよね。

そんな状態で上手くいくことなんかほとんどないんですよ。

昔の僕はそれにすら気付かず、プライドが高いのもあって人の意見を素直に聞くことすら出来てなかったし、自分の力だけで夢を叶えると心に言い聞かせてました。

でも、それにもすぐに限界が来ました。

そこから僕がとった行動はまさに「喧嘩した後にゴメンって謝りたいけど、素直に謝れないから遠くからチラチラ見る感じ」でした。

すごく格好悪く感じたけど、僕が初めて自分の負けを認めた瞬間でした。その瞬間、劣等感や嫉妬心は急にポジティブなものに変わって行ったんです。

負けを認める時はネガティブじゃない。次に勝つぞって思う時。

基本的に「聞く」ってタダなんですよ。自分が調べても分からないことを素直に質問することが出来たらそれに越したことはない。

でも、感情的になるとそれが出来ないから、感情的にならない必要がある。

ゲームで勝負して負けた時「もうええわ!」って怒ってやめちゃうんじゃなくて、すぐに「どうやったら上手くなれるの?」って素直に聞いて挑戦して、それを出来るだけ沢山の人に繰り返していく。

人間って、情報や経験をインプットしてかないと成長できないから、その機会を失うってことは致命的なことなんです。

負けを認めてられるのは、次に勝つぞって思えた時の行動だと思います。それは何も恥ずかしいことじゃないし、むしろハングリーである気持ちの表れですよね。

最後に勝てば良い。ダサくてもハングリーである自分を誇れ。

負けたから腹立てるのは簡単なことなんですよ。その場を放棄したら良いだけだから。

大切なのは最後に勝つために出来ることを考える。

勝つためには、情報や経験をインプットする必要があるし、多くのインプットするには情報を取り入れる必要がある、情報を取り入れるにはハングリーである必要がある、ハングリーであるためには負けを認める必要がある。

負けを認めることで心がスッとして、一気に世界の見え方が変わることを僕は経験しました。昔すぐに怒っていた僕はもういません。今の僕はどんな方からの意見も、素直にうなずいて聞くことが出来ます。

過程がダサくたって何も恥ずかしいことはないし、どんな状況下でもハングリーでいられる自分を保つことって、何よりも誇れることだと思います。

僕もまだまだ負けてばっかりですが、いつか勝ったぞって言えることが出来るように頑張ります。皆さんも一緒に負けながら頑張りましょう。

では、またね。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer