コロナ渦中、京都で行われた黒人差別デモ(#BlackLivesMatterKoyto)に感じた中途半端な正義。【歴史を教える教育を見直す】
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コロナ渦中、京都で行われた黒人差別デモ(#BlackLivesMatterKoyto)に感じた中途半端な正義。【歴史を教える教育を見直す】

2020.06.22
2020.06.22

まず、今回の件についてお話する前に、僕自身どんなことにおいても「差別感情」はなく、全てのことを平等に考えた上で発言しています。「今何がある」とか「過去に何があった」とか関係なく、一切の「差別という概念がない人間の意見」としてお聞きいただければと思います。

どうも、コウタです。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動しています。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは20206月で1,500日を突破しました。

外出自粛で運動不足やストレス発散が出来てない方は、僕が毎日欠かさずやっているダイエット効果バツグンの自宅トレーニングをまとめたのでチャレンジしてみてください。また、外に出て運動する方へ、これからの時期持っていると便利な「コスパ最強のランニンググッズ」を紹介したのでこちらも合わせてご覧ください。

世界では新型コロナウイルスの影響で経済活動が停止し、多くの企業や事業者が苦しい思いをし、日本に住む多くの人の自粛という協力のもと、コロナさんを何とか抑えこみ、やっとの事で自粛解禁にまでこじつけた”ところ”です。

そんな中、京都で行われた「黒人差別デモ(#BlackLivesMatterKoyto)」です。

長年続く「人種差別問題」で、先日の白人警官が黒人を殺害したというニュースをキッカケに、世界中で多くの「人種差別反対運動」が行われている訳です。

詳しい歴史は知りませんが、もちろん僕自身も「差別感情によって1つの生命が奪われたことに遺憾で心が締め付けられる思い」です。

僕はこういう問題に直面するといつも過去に学んだことを考えるんですね。

小学生の頃に「戦争」を習い、アメリカによって広島と長崎に原爆が落とされたことを知った日、僕はアメリカに対して嫌悪感を抱くことは一切ありませんでした。純粋に「戦争をしてはダメだ」と思ったわけです。

それは僕が受けた「教育」がそうさせたんだと思います。

ということで今回は「歴史を教える教育を見直す」ということで「コロナ渦中、京都で行われた黒人差別デモ(#BlackLivesMatterKoyto)に感じた中途半端な正義」についてお話ししたいと思います。

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コロナ渦中、自粛開けすぐの京都で「黒人差別デモ(#BlackLivesMatterKoyto)」をやる必要性が理解出来ない。

今回、世界で問題になってるような「黒人差別」は、そもそも京都では行われていません。(細かな部分は知りませんが、日本人が世界に行ってもそれは同じだと思います。)

人種差別に反対する世界の運動に、京都から連帯する意志をデモ行進で示す」というデモのテーマ。

ごめんなさい、正直、意味がよく分かりません。(何度も考えましたが、本当に意味不明です。)

コロナ渦中、多くの人が未だ行動制限をして尽力している中、「コロナによるリスク」を背負ってまで、無関係な場所(京都)で、デモを行うこと自体が「中途半端な正義」に見えた。

コロナさんがなければ、印象が変わったのかもしれません。(ここ重要)

これが万が一「京都で起きた黒人差別に対するデモ」ならもちろん理解出来ますし、そのデモを起こしたいという気持ちに賛同する意思は示したと思います。

要は「”コロナ渦中”、差別と関係ない、無関係な場所で一体何やってくれてんの?」って話です。

未だ多くの人がイベントを自粛する中、交通に影響を与え、地域に住む無関係な住民にリスクを与える「デモ」という行為に「正義感」を感じない。

そもそもこのデモは「平和を訴える目的」でやってるんですよね。(そうじゃないと本末転倒で、ただの戦争の火種でしかないです)

コロナさんの影響で、未だに全ての大規模イベントが禁止になり、多くの企業がイベント自粛の影響で厳しい状況になっています。(僕の大好きなサッカーや格闘技すら開催されていない状況)

そんな中で、屋外とは言え、千人規模のイベント(デモ)をやることにそもそも「正義」を感じません。

コロナさんのお話だけで言えば「黒人差別による生命の大切さを訴えながら、日本に住む人の生命を危険に晒す行為とか本末転倒」ですよね。

これを「正義」や「平和」というのなら、「オフラインではなくオンラインでやるべき」だと僕は思うんですね。無理に集まらなくても「ネット署名」でいいじゃないですか。(実際に僕も別の場所では署名しました)

万が一、今回のデモで大きなクラスターが起こり、多くの日本に住む人達が危険にさらされた時「誰がどういう風に責任を取るんですか?」という話です。(持ち物に「マスク必須」と書けば良い話ではない)

今回のデモは、差別感情から無関係で、高齢の家族を持つ一般人からすれば、本当に「ただの迷惑」です。

個人的に「迷惑をかけてまで正義を発信する」ことを「中途半端な正義」と思ってますし、そのデモという行動に一切の賛同はできません。(交通を止めたり、警察を動かしたり)

要はそういった「ルールを守らないことをしたことによる話題性」で注目を集める方法という感じですよね。(許可取ってるとかは周りからしたら関係ない)

白人と黒人に限った話だけでなく「差別自体を無くす」運動をなぜしない?

そもそも「差別感情が一切ない人間として育った人間」に「黒人に対して過去にこんな酷いことがあった」と教えられた時、もしかしたら「白人は酷い奴らだ」と「新たな対立者を1人生む可能性」がありますよね。

今回のデモに参加した人のインタビューで「黒人差別への理解者が増えるキッカケにればと思いました」と、コメントがあったけど、その答え方じゃ「黒人に焦点が合ってる」わけだから、「白人に対しての嫌悪感が残る」わけですよね。

「黒人の生命も大切だ!」じゃなくて「皆んなで手をつなごう!」みたいなスローガンにしたら良いのに。

Black Lives Matterと書かれた横断幕のフォントの字が白だったのも印象的で、やっぱり白と黒はお互いを引き立たせて良い関係なんですよね。

「黒人差別のニュースを見る度に心が痛むのは事実」だけど、戦うべきは「黒人差別を無くそう」ではなく、そもそも「差別自体を無すのが目的」なんで、どっちが白だ黒だでお互い旗を掲げてても終わりは来ないですよ。(ドレスコード黒とかよく分かんない、僕なら白黒黄色のボーダーで行くかな)

なぜデモという形をとって「反対的意見」しか述べないのか。その先に何がある?

人間関係を築く上で「良い部分を沢山探そう」って言います。実際僕もこれを実行することで苦手な人でも仲良くなれることが出来ました。

こういったデモの中では「悪い歴史」を掲げて行進することが多いですが、逆に「良い歴史」を掲げて「もう終わりにしよう」って訴える人はいないんですかね。

僕は「デモ活動」を見ていても、正直一切何も感じないんですが、こういうニュースを見ると「やっぱり平和が良いな」って心から感じる訳です。

僕だけが変人な訳ではなく、こういったニュースに多くの人が心打たれてるとおもうんですね。

それを「威力的・暴力的なデモ」をメディアに流し続けることが必ずしも良い影響を及ぼすとは限らないです。(もう怖いし、手をつけても何も変わらなさそうで面倒だし、関係ないって事で良いやってなります)

建設的な話し合いが行われない、ただの「威力的・暴力的なデモの先に一体何が残るのか」分かりません。

黒人は必ずしもデモに賛同しているわけじゃない。彼らの多くは「マシな方法」を模索しようとしている。

この映像を見て、僕はただただ「感動」しました。

デモに参加している切迫した状況で「未来に想い(本心)を伝える」という行動。

このデモをやっても何も変わらないことは分かっていても「何かをしないといけない状況」で、感情的になりながらも「お前たちは同じことをしてたらダメだ」と、「本当の平和についての核心を持っている人がいる」ということに心打たれました。

僕はこういった映像が、人種関係なく平等に拡散されていくことで、この若者達の未来が明るいものに変わると確信しました。僕も自分に力はなくても、こんな大切なことを伝えられる大人になりたいと思いました。

逆に切迫したアメリカでこういう有志が命懸けで伝えているにも関わらず、京都で何してんだよって余計に思いました。

世界を平和にするために「歴史教育の統一」が必要になる。

「過去に何があったか」を知ることは、とても重要な勉強だと思います。

黒人差別だけでなく、第二次世界大戦中のユダヤ人の大量迫害もそう、日本人だって海外に行けば差別されることも珍しくないです。過去を見れば、世界中で多くの「差別」はあった訳です。

その過去を学んで「復讐」をしたいのか、もしくは「平和」を求めるのか。

「平和」を求めるのであるするなら、ここで終わりにしようという「歴史教育の統一」が必要だと思います。もう既にこれまでの歴史を知った人から、差別感情を抜くことは出来ないと思います。

アメリカの教育で「原爆は戦争を終わらせたヒーロー」、日本の教育で「原爆はアメリカに落とされた史上最悪の爆弾兵器」と教育するのではなく、アメリカと日本が双方で「原爆投下はもう2度と起こってはいけない悲惨な事件」として伝えるべきです。

そういう部分で「どちらかが過去に固執している限り、本当の平和は訪れない」と僕は思います。

皆んなそれぞれの正義の為に戦う気持ちは分かりますが、その正義感は未来を平和にするために繋がるのか、もしくは復讐や報復という感情が少しでも入っているのかどうか、見つめ直して欲しいなと思いました。

僕は大きな力はありませんし、デモに参加するつもりもありません。僕は僕が伝えることが出来る身近な人に対して「差別」と「平和」について、みんなが平等であることを伝えられる様に頑張ります。

世界が平和になるように、一緒に頑張りましょう。

では、またね。

PS. このことについて書くかすごく迷いました。でも僕が望んでいるのはシンプルに平等で平和な世界。その想いが伝わることを願います。不快な気持ちにさせた方がいれば、本当に申し訳ございません。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer