終業時間が待ち遠しい仕事は辞めるべき。コロナ自粛で改めて考える、努力出来る環境で仕事が出来ているか。
どうも、コウタです。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動しています。2016年から禁煙をキッカケに始めたランニングは2020年3月で1,400日を突破しました。(※現在は外出自粛 の影響で自粛中です。)
外出自粛で運動不足やストレス発散が出来てない方は、僕が毎日欠かさずやっている自宅トレーニングを以下の記事にまとめましたので良ければチャレンジしてみてください。
【自宅で出来る】在宅ワーカーお勧めの自宅で出来る運動不足解消・ストレス発散・脂肪燃焼トレーニング on Youtube【外出自粛/#StayHome】
人生の約20%は労働が占めている。
今自分が就いている仕事に充実感を感じ、心から楽しむことが出来ていますか?
僕は5年前に個人事業主としてフリーランスデザイナーになりました。当時は1ヶ月の収入が限りなくゼロに近く、生活出来るかどうかギリギリの状況の中でも幸せを感じていました。
自分が作ったものが、お客さんの手に渡り、笑顔になってくれた瞬間は、自分が貧しい生活を送る辛さ以上に幸福感を与えてくれたからです。だからこそ頑張れたし、だからこそ我慢出来ました。
このように、例え十分なお金をもらえててたとしても、仕事に対する幸福度というのは必ずしも高いとは限りません。
自己犠牲の気持ちばかりでは生きてはいけませんが、お金ではなく愛とか笑顔とか、そんな綺麗事のようなものが原動力になることも確かです。
愛情を持って仕事を取り組めたからこそ、我慢と努力を続けてこれたということと、それによって自分自身に感じる幸福度についてお話ししたいと思います。
Index
終業時間が待ち遠しい仕事環境で努力は出来ないし、努力がなければ成長もない。
自分が今いる職場の良い所を3つ言えますか?その中に「お金」や「楽したい」などの理由以外はいくつ含まれていますか?
僕は興味がないことや、愛情を注げないことに努力することが出来ません。所詮どうでも良いことなんて、さっさと終わったら良いなと思ってしまうんですよ。
人生の大半を占める労働の部分で、幸福感を得ることが出来ればどれだけ人生が充実するかを考えました。
何かに縛られたり、何かに我慢したり、何かに怯えながら仕事と一生付き合うのは嫌だったからです。
どうせやるなら楽しみたい。そんなシンプルな感情です。
今の仕事にやり甲斐を感じられない原因が何なのかを考えてみる。
なかなか好きなことを仕事に出来る人は少ないと思いますが、仕事を始めた当初は、少なからず夢や希望のようなものはあったはずだと思います。
そしてその夢や希望をなぜ今は、昔のように思うことが出来なくなったか考えてみてください。
- 労働条件
- 人間関係
- 金銭問題
そこには様々なことがあると思いますが、仕事は好きでやり甲斐を感じるけど、「会社と、会社で働く人が嫌だ」というようなことが原因であれば、今すぐにでも辞めることをオススメします。
そんな環境で働いていては誰のためにもなりませんし、そんな会社はこの先もう長くは続かないと思います。
必ず他に、自分の力を必要とし、やり甲斐を持って働くことの出来る環境は沢山あります。
お金で得られるのは表面的な幸福度であることに気付く時代が来る。
新型コロナのによる外出自粛が影響し、経営不振に陥った事業は沢山あると思います。
それに伴い、普段忘れかけていたお客さん一人のありがたみを改めて感じた人も、多く出てくると思います。
そこで生まれてくる感情は、やはりお金ではなく人との繋がりや愛情に対する感謝ということです。
生きていく上で必ずお金は必要ですし、加えてこの平和ボケした飽和状態の日本でなかなかそこまでハングリーさを感じて働くことの方が難しいです。
でも、本質はここにあると僕は思っています。
人はどんな時代も誰かの笑顔のために頑張ることの出来る愛に溢れた生き物だ。
僕は人が好きです。どんな人でも心の底に良心を持っていると信じています。
うまく伝えることが出来るか分かりませんが、ひとつ例を立ててお話ししたいと思います。
つまらなかった学生生活の勉強は「自分のため」の勉強だったから。
これでもかというくらい、朝の通学から放課後までずっと眠かった学生時代。
何のためにしているか分からない勉強に、1日何時間も拘束されることにダルさ以外何も感じませんでした。勉強していた大きな理由は卒業するための試験をパスするため。休み時間の終わりを知らせるチャイムが憂鬱で仕方ありませんでした。
一体これになんの意味があるのか分かりませんでした。
これと同じ感覚が、今やり甲斐を感じられない仕事を強要されている方に当てはまることだと思います。
その反面、部活動は一生懸命に頑張ることが出来ました。自分の為はもちろんですが、応援してくれる家族のため、監督のため、友達のためなど、知らず知らずのうちに、そこに携わる誰かのために努力することが出来ました。
そして、そんな気持ちがあったからこそ、最後の試合が終わった瞬間や、卒業式など、心はまだまだ幼いながらも、別れに寂しさを感じることが出来たんだと思います。
誰かと時間や感情を共有し、そのリアクションに一喜一憂することで初めて、幸福感を得ることが出来るということです。
僕はこれを仕事に置き換えて考えました。
自分の仕事の先に笑顔が作れるような努力を通じ、返ってきた笑顔に自分の幸福感を感じ、その連鎖を自分の人生に関わる人たちに伝えていきたいと思い、今も努力を続けています。
自分が幸福を与えたい相手が、お客さんなのか、上司なのか、従業員なのか、家族なのかは分かりません。笑顔というリターンがあれば、お金のことは後回しだと思える自分がいると思います。
普段の日常で、なかなかそれを感じることは難しいかもしれませんが、少しでも多くの方に本来の自分の在り方を取り戻すキッカケになれたら幸いです。
時には腹が立つこともありますけど、一緒に頑張りましょう。
では、またね。