「クオリティは細部に宿る」は離れて見るとより伝わる。
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おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)
僕は昔から完璧主義なところがあって、家族や友達から「そこまで徹底しなくても」と言われることが少なくありませんでした。
プライベートでこういう一面を見せてしまうと相手が疲れてしまうこともあるんですが、仕事での「完璧主義」って大切なことだと思う面もあるので、そういう心持ちでこれまで活動して来て、僕が感じたことを共有したいと思います。
ということで今回は、「クオリティは細部に宿る」は離れて見るとより伝わる、というお話をしたいと思います。
1始めてしまうと10気になる。
僕の性格を表現すると、部屋の床が汚れているなーと思って掃除機をかけたら、今度は棚の埃を見つけて棚掃除を始め、棚掃除の最中に窓の汚れが気になって、次は窓掃除を始めてといった感じで…
こんな風に、1始めてしまうと結局10が気になってしまって、最終的にはいつも大掃除になってしまうようなタイプの人間なんですね。
プライベートでもそんな感覚の僕が、いざ仕事となると、自分でも厄介なくらい「完璧主義」が出てしまうのは想像してもらえると思います。
完璧主義が故の「手を抜けない症候群」
仕事で完璧主義が出てしまった時の僕は誰にも止められなくて、そんなとこ誰も見てないよってレベルの部分に対しても「手を抜けない症候群」が発動してしまいます。
今、とあるお仕事で「大阪の路線図」をオリジナルでデザインしていて、大阪の何百もある駅のポイントと駅名を入れて、それを線で繋いで路線によって色分けしてと、かなり細かい作業をしています。
そこでも「手を抜けない症候群」が発動していて、駅名はポイントから左に1ミリ余白を取ることを統一するとか、文字の寄せは右か左か、この場合上の方が見やすいかなど、とにかく1ミリ単位の作業を繰り返しています。
繰り返すだけならまだしも、「いや、もっとこうした方が…」と、ふとした時間に考えてしまう自分がいて、いつまで経っても完璧に完成といった状態にならないんですね。
こんな感じで僕は、クライアントさんに納品する最後の最後まで、チョコチョコと細かい(誰も見ていない)修正を繰り返していることがほとんどだったりします。
「クオリティは細部に宿る」をやり続けてみて。
誰も見ていない様な細かいところまで徹底する性格は、時間をかけられない状況では重荷になってしまうこともあると思っています。
ですが、それ以上に僕は「クオリティは細部に宿る」と思っていて、尖った才能がない僕が出来る最低限の努力だとも思っています。
これに関しては、デザイナーになると決めてから約8年間、妥協することなく徹底してやり続けて来ました。(そしてこれからもやり続けます。)
その大きな理由としては「見ている人は見ている」ということと、「細かな努力の集合体はデザインを知らない人にも潜在的に伝わる」ということが分かったからです。
反対に言えば、手抜きを重ねた物は見た瞬間にわかる様に、努力という要素がその作品の1つの要素として相手に伝わるということなんですね。(感覚的な表現ですいません。)
細かな努力は広げて見た時に分かる。
「細かな努力の集合体」を表現するのに分かりやすいのは、小さい絵を大きな紙いっぱいに敷き詰めて描いているとして、自分が描いている時の視界はすごく狭いですが、完成した時に離れて見た時の壮大さにはゾクっと鳥肌が立つと思います。
そこで、細かく統一された絵の中の一部にだけ、スカスカの大きな絵が入っていたとしたらきっと目立つと思うし、その目立った部分が「手抜き」だったとしたら、相手にはもちろん良い印象は与えません。
こんな風に、小さな部分の努力っていうのは、意外と大きく広げて見た時にその完成度が分かったりするんですね。
なので僕は、細かい作業の時だけではなく、シンプルなデザインの時にも同じように、1ミリ単位でのデザイン制作を心掛けているんですね。
気持ち的にも、細かな部分まで手を抜かなかった自分の方が、やっぱり心もスッキリするし、胸を張って納品出来ることに繋がると思うので、これからも妥協せずやっていきたいと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。