仕事は「お金をもらえる専門学校」だと思って全力で取り組んだ結果が僕の財産。
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仕事は「お金をもらえる専門学校」だと思って全力で取り組んだ結果が僕の財産。

2022.09.20
2022.09.20

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)

このお話はブログでは度々することはあるんですが、先日東京に行った時に初めてと言って良いほど自分がこれまでやって来たことをこと細かくお話した気がします。

というのも、全てのお仕事に対してかなり強い想いを持ってやって来た自負があり、そんな過去のお仕事に対して語ろうとすると時間がかかりすぎて迷惑になっちゃうからですね。

ということで今回は、仕事は「お金をもらえる専門学校」だと思って全力で取り組んだ結果が僕の財産、というお話をしたいと思います。

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京阪奈売上2年連続1位の敏腕コンビニ経営者だった父親から学んだこと。

好きか嫌いかで言えば今はリスペクトを欠いている(会ってないので何してるのか分からない)親父なんですが、過去の栄光だけで言えば素晴らしい実績を持った親父なのは否定することは出来ません。(経営者としては素直に尊敬してます)

というのも、コンビニというものがまだやって来た瞬間の20年以上前の当時に、奈良県で1、2店舗目のコンビニの経営をし始めたのがうちの親父です。

昔からシムシティなんかのシミュレーションゲームが好きだった親父は、当時は本部から提供されるノウハウなんてものはなかったので、細かなサービスや陳列のこだわりを徹底した結果、京阪奈で売上2年連続1位の店舗を持つ経営者になっていました。(なので本部で親父を知らない人間はいませんでした)

僕が初めてアルバイトをしたのは、そんな超敏腕の父親が経営するから学んだ「店舗運営」「商品管理」「働くということの美学」を、超体育会系な感じで時にはシバかれながら叩き込まれたました。

そんなノウハウはまだ18歳だった僕にとっては衝撃で、今もその経験が僕の基盤になっていることは間違いありません。

コンビニで学んだ知識と自分の感性を組み合わせて戦った「九州物産のテキ屋」の仕事。

その後、家庭の事情やらなんやらで僕は「九州物産のテキ屋」で親父と2人で働くことになったんですが、とある日親父が自律神経失調症になったのか身体が思う様に動かなくなり、一時期僕ひとりでテキ屋を回さないといけなくなった時がありました。

普段は元経営者の父親の言う通りにやっていた仕事も、自分ひとりになった時だけはノビノビと自己表現を出す様になり、その結果、他の販売員が過去に立てていた最高売上げを更新し続けるという偉業を成し遂げました。

その功績から「福井さん(息子)にお店に来てほしい」という店舗(イオンやコープなど)がどんどん出てきて、それを聞いた社長から「お前に備品を全部無料で貸すから親父とは別でひとりで店舗に行け」と言われ、そこから僕は完全にひとりで働くことになりました。

僕はそこで「接客・試食販売」「美味しそうに見える方法(盛り方・シート・ポップ)」「買いたくなる並べ方(わざと売れてるように歯抜けにする)」みたいなノウハウを徹底的に学びました。

人見知りで口下手だった僕が取った「京都ナンバー1」の称号。

また色々とあって僕はそのテキ屋を辞めて京都に来ることになるんですが、その時母親から渡されたチラシに「某食品配送業者」の仕事の募集が書いてあり、時給が高かったのとボーナスがあったということから速攻で働くことを決めました。

給料が高くボーナスがあるというのは完全なる罠で、蓋を開けてみればゴリゴリの「ノルマ」に溢れたお仕事で、配達はオマケで本職は営業職という謎のお仕事をすることになりました。

九州物産のテキ屋で学んだ接客技術やトークを活かして、半年研修後の翌年度1年は本気で結果を狙いにいこうと意気込んだ結果「京都の某食品配送業者の中で売上伸長率年間ナンバー1」「年間注文書回収率100%」「ノルマ期日内全達成」という記録を叩き出しました。(正規社員も含む)

結構な人が利用したことがある、もしくは利用している人を見たことがある食品配送サービスですが、そもそも年間を通して誰も一度も休まないのは異次元で、売上げ伸長率に関しては単価100円程度の商品で数百万の伸びを見せたのは素晴らしい功績だったみたいです。(ちなみにただのパートです)

「お金をもらえる専門学校」だと思って全力で取り組んだ結果が僕の財産。

その後はデザイナーとしてお仕事をもらうために、京都の祇園に社長さんとのコネクションづくりを目指して飛び込みました。

結局なんだかんだ騙されてホストクラブのボーイとして働くことになったんですが、これまで学んだ全てのノウハウに加えて、体育会系の礼儀と体力を注いで掴んだ結果「ヘルプ賞を入店から辞めるまで全月で獲得」という結果をもらいました。

どんなお仕事をしていても、「お金をもらえる専門学校」と思って全て短期集中で且つ、ノウハウを習得た上でオリジナリティを追求して結果にこだわって働いて来ました。

だからこそ、今からどんな仕事をやろうとも絶対に結果を残せるだろうという圧倒的な自信がついたし、僕はそこで学んだノウハウを全てクリエイターとしての生き方に落とし込んで活かせていると思います。

これまでの経歴をザザッと書くと、「〇〇で働いて〇〇という記録を残した」といった感じで、すごく漠然とした文章になるんですが、かなり緻密に計算して努力して、想いを込めて働いたからこそ掴めた結果だと思うし、また機会があればそれぞれ詳しくお話したいと思います。

今でも実践で使えるようなノウハウばかりだったりするので、もしこの時代のことを詳しく話ししてほしいってことがあれば教えてください。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer