フラフラになりながらも僕は僕の正義を貫き続ける理由。
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フラフラになりながらも僕は僕の正義を貫き続ける理由。

2024.03.31
2024.03.22

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し9年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,570日、毎日ブログは1,340日を突破。(2023年12月31日現在)

ここ最近、訳の分からないくらいのスケジュールで動いていて、昨日何をしていたかの記憶なんてものはほとんどありません。

「昨日横浜から帰って来たのか」という中の、昨日というワードが「今日」に変わるほど満身創痍で生きています。

ということで今回は、フラフラになりながらも僕は僕の正義を貫き続ける理由、についてお話ししたいと思います。

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嫌われることを覚悟でぶつかっていくスタイル。

僕は昔から変に正義感が強いタイプで、いざその正義を貫こうとした時には嫌われることを恐れずにぶつかっていく人間です。

で、なんでそこまで自分の正義を貫くのかを聞かれたとしたら、「僕の正義が伝わったからこそ寄り添ってくれる人がいるから」ということだと思っています。

自分が大切に思う人が、僕の生き方を見てくれていて、だからこそ僕という人間を評価してくれる状況があるからこそ、そんな正義を僕は守り続けたいと自分自身としても感じている訳なんですね。

「僕が僕であり続ける」みたいなことに対して、嫌われることを覚悟でぶつかっていくスタイルは諸刃の剣かもしれませんが、僕はいつまででもそんな僕でいたいと思っています。

僕が積み重ねて来た事実は今までの僕だからこそ。

先ほども言いましたが、僕を昔から慕ってくださっている方々は、今の僕を見てそう思っている訳ではなく、過去の自分を見てそういう風に感じてくださっている訳なんですよね。

で、逆に言えば「今がダメだったら離れていく」ということで、もちろんポジティブな意味合いでの成長は大歓迎な中でも、変わらない何かを持っていないとダメじゃないですか。

今の自分自身を見がちなんですが、過去の自分と向き合うことで今の自分が分かる部分は大きくて、だからこそ僕は「継続」を通じて、日々過去の自分との比較を続けているのかもしれません。

大切な人と共に添い遂げるために貫く想い。

35歳になって、ここ最近「年齢」という部分での転機を迎えたのか、今までの価値観がガラッと変わるような出来事が増えて来たんですよね。

例えば「継続」ということ1つとっても、あれだけこだわっていた匈奴なんかに対しても「頑張り過ぎたら壊れちゃう」みたいな境界線を感じるようになったんです。

ただそれででも、先ほど言った中で「僕が僕であり続ける」という基準は一切ブレないようにしないとって思いがある中で、ここ最近は僕にとって「大切な存在」への想いや価値観が変わって来ることに気付きました。

僕が僕であり続けるために。

ここ最近は「僕が僕であり続けるためってどういうことだろう?」みたいなことを考えること多くなって、それは「人格を変える」という大掛かりな工事ではないと思うんですね。

ただ、心の小さなスイッチを入れ替えることで、表面的には大きく自分が変わるんだろうなって思うんです。

年相応みたいな感覚は間違いなくあるんだろうなって感じの雰囲気を感じたりもする中で、人生2回目の思春期のような転換期真っ只中の僕にとって、毎日がすごく新鮮で、これまでの人生の中でも1、2を争うほどに自分自身と向き合う日々が続いています。

自分が(これから変化していく)理想だと感じる自分も分かっている中で、過去の自分の感覚と訣別し、ブレない軸のようなものだけは残しつつ、変わるのか変わらないのかの葛藤のような問いを、自分自身に投げかけ続けてるような感じですね。

感覚的なことで難しいんですが、20代前半は毎日ランニング5kmが当たり前に出来てたけど、この歳になれば毎日3kmでもきついって感じる状況の中で、じゃあその5kmを3kmに合わせるにはどうしたら良いだろう?みたいな感じです。

ふわふわとした時間を過ごすことが多いんですが、残りの自分の人生のためにしっかり向き合っていきたいと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer