誰かの作品を自分の作品として公開することで失うもの。
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誰かの作品を自分の作品として公開することで失うもの。

2022.04.21
2022.04.21

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)

今回のお話は、別に僕が怒っているということではなく、改めて「やっぱりこういう感覚って大切だよね」って思ったし、それをその現場にいた人達や、皆さんにも共有したいなと思ってお話しします。

先日とあるところに行って来たんですが、シンプルに楽しむ場の中で、そこで僕がちょっと違和感を感じて「残念だなぁ」と思ってしまったことがあったんです。

ということで今回は、誰かの作品を自分の作品として公開することで失うもの、についてお話ししたいと思います。

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人が人に対して「やってあげたい」と思う瞬間。

皆さんにも分かりやすくこういうことだよってことで説明すると、例えば自分が「チョコレート」が好きだったとして、その相手が「これ珍しいチョコレートだから食べてみて!」みたいな感じでプレゼントしてくれたら嬉しいですよね。

そうなったら大体の人は、次は自分何か返したいなって思うことで、一方的に自分が好きなものをあげる人もいたりすると思うんですが、(これはあくまで僕の主観で)やっぱり僕は相手が1番好きなものを返したいなと考えます。

そこで相手が「グミ」を好きだという情報が入ったら、僕は自分はチョコレートが好きでも、スーパーやコンビニに行けばグミ売り場に行って、その人が喜んでくれるグミを探す行動に移する思うんですね。

行動としてこういう表現になるんですが、感情としても同じことで、人が人が人に対して「やってあげたい」と思う瞬間っていうのは、いわばシーソーのように目に見えないバランスが成り立っている訳なんです。

僕が違和感を感じてしまったその時の相手の行動。

で、このシーソーのようなもののバランスが上手く保たれていない、要は片方のお尻が地面につき続けているような関係では、きっと将来的に破綻してしまうのは目に見えています。(片方だけが尽くしているような状況ですね)

僕が経験した状況というのは、それに近い(けど色々難しいシチュエーション)ような感じの状況なんで、そういうことから別に怒っているとまではいかないけど、ちょっと違和感を感じたなと思った程度だということです。

具体的にお話をすると、冒頭でもお話しした通り「僕の作品を自分の作品として公開する」ということを結構当たり前にされることが続いた訳です。

要は、僕の撮った写真を自分のSNSなんかでメンションせずにアップするような行為だったり、SNSのライブ配信を始め出したと思えば、僕に許可なく配信に載せたりとかそういうことですね。

その人のフォロワーは増えたり、ライブ配信で投げ銭をもらえたりするのはその人で、それって僕になんのメリットもなくて、ただこっちが提供しているだけみたいな感じになっているし、プライベートを楽しもうと思って来た僕にとって、許可なく「自分が売られているだけ」になってしまってることに違和感を感じたんです。

クリエイターという仕事を生業にしているからこそ強く思うこと。

で、その人には色んな部分でお世話になっていますし、決して何も相手から提供されていないこともないので、別に怒るとかいう訳じゃないってことなんですが、クリエイターとして活動している中で思う、まぁひとつの職業病みたいな感じですよね。

要はプライベートで行った旅行で「写真撮ってよ!」って頼まれて、それが終わった後に「写真ちょうだい!」って言われて、補正して送ってあげたらSNSにメンションなしであげられるってことって何か僕は気持ち悪いんです。

その人は、そのクオリティの写真を撮ることは出来ないけど、見た人はそこまで考えて見ていないので「わぁすごい」で終わっちゃうじゃないですか、ただそこにメンションして僕のSNSに飛べるようになっていたら、見た人が僕を知るキッカケになるし、そういう立ち振る舞いってすごく大切だと思うんですね。

そこで何かに繋がることを求めている訳じゃないんですが、相手からそういう姿勢が見えたら「またやってあげたいな」って快く写真を提供出来るわけなんですが、そういう姿勢が見えなかったとしたら「もう写真は撮りたくねー」「ライブにも参加したくねー」ってなる訳です。

で、これをクライアントさんにも求めている訳ではなく、あれはお金をもらってお仕事としてやっていることなので、そこは仕事とプライベートは別ってことなんです。(もちろんそういう配慮をしてくれる素敵なクライアントさんが大半ですが)

誰かの作品を自分の作品として公開することで失うもの。

僕が今回こういうお話をした理由として、せっかく出会った大切なつながりをこんなことで失ってほしくないし、そういう配慮をするだけで上手く回っていくことなのに、たった1人の行動で残念な思いをして欲しくないと思ったからですね。

その人はきっと感覚的に分かっていない部分もあって、決して悪気がある人じゃないと思うんですが、結局ひとりが輝こうと思って頑張っても、その人って最後まで輝き続けることは出来ないんです。

ステージの上でスポットライトに当たろうと思えば自分ひとりでは決して不可能で、あなたの動きに合わせて誰かがそれを操作をしてくれて初めて成り立つことですよね。

ただ僕は、クリエイターとしては「作品 = ステージに立つもの」で、それを作った自分自身が輝くことはない、いわば裏方の存在に徹して生きている中で、やっぱり「人を輝かせている人が輝いて見える」と思っています。

そういう意味で、普段からどんな人にも謙虚で、自分以外の誰かを立てられる人の方が格好良いし、そういうことが出来る人だからこそ、僕は繋がっている意味があると思うので、そういう部分が自分にある人には気付いて欲しいなと思いますね。

クリエイティブの分野ではそういうのは強いだけであって、これはプライベートでも当たり前にあることだと思うので、そういう気遣いの出来る人間であり続けたいなと僕は改めて思いました。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer