誰かのやりたいことが僕のやりたいことになる。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し9年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,570日、毎日ブログは1,340日を突破。(2023年12月31日現在)
最近、色々と自分自身が新しいチャレンジやクライアントさんに対しての施策なんかを考えている中で、自分のしたいことって何かないのかなって考えることがあるんですよね。
で、いくら探しても探しても「僕単独でやりたいこと」が見つからなくて、それっていつからだろうかと思い返してみたところ、それに引っかかる時代が高校を卒業した後の人生には1つもありませんでした。
ということで今回は、誰かのやりたいことが僕のやりたいことになる、というお話をしたいと思います。
考えてみたら僕にやりたいことなんてなかった。
僕は19歳の頃に「死にたい」とか「生きる意味がない」みたいな衝動に駆られ、その結果、一度「自分自身の人格を殺す」みたいな時期を経験したような気がします。
それまで尖り続けていて、自分自身がスポットライトを浴びていないと気が済まない性格から180度変わって、「自分以外の誰かの笑顔のために」という丸さを持った生き方に変わったんですよね。
そんな経験を経て「自分のしたいこと = 誰かのしたいことを叶える」という構図が生まれた中で、僕は自分のしたいことを見つけることが自分ひとりでは困難な生き方となることになりました。
冒頭でお話ししたように、考えれば考えるほど、僕自身にやりたいことなんてなかったということだったんです。
求められるからこそ生きていける。
要するに僕は「求められることが生きる意味」ということで、僕自身が誰からも必要とされなくなったと同時に、例え人間として死ぬことが出来なかったとしても「死んでるも同然」だと僕は思っています。
それこそ「死ぬのが怖いから生きてるだけ」というのはあながち本心な中で、誰かから求められるために自分自身を磨いていると言っても過言じゃないんですよね。
きっとこういう感覚で生きている人って、僕がこれまで出会った人の中でも限りなく少ない種類の人間だと思っていて、なかなかこの感覚を理解してもらうことが出来ません。
生きづらい世界だと感じることは多々あるのですが、それこそが自分自身だという決して頑固というからこそ貫いているこの性格を、どうにもこうにも変えることが出来ないんです。
人から同じ感覚の人だと思われるのが辛い。
そんな僕自身のこの感覚を理解してもらえないことが多すぎるが故に生じている問題が、「周囲の当たり前を僕に当てはめられる」ということで、要するに人からは「そんなことないだろ」という目で見られることが多いんです。
要するに「口だけ野郎」ということで、きっと周りの人たちは「綺麗事を言ってカッコつけるな」みたいな感じで思われてることが多いように感じます。
自分で言うのも何ですが、僕は僕ほど「人を裏切らない」とか「人を信じ続ける」みたいな人を見たことがないので、心の中では「お前らとは違う」と思っているんですが、そういうことを考えれば考えるほど生きづらくなってくるんですよね。
もちろんこういった感覚を理解した上で、僕自身を珍しい人間だと一目を置いた上で、僕のこの感覚を傷付けないように丁寧に扱ってくださる方は沢山いらっしゃるので、そういう方々の存在が僕にとっての財産だなと感じています。
誰かのやりたいことが僕のやりたいことになる。
これを読んでくださった方が、僕の言葉をどこまで信じてくれるかは分かりませんが、僕がここで書いていることは自分では真実だと自負しています。
自分がこれまで10年ほどフリーでお仕事をして来た中で、休みが欲しいなんて思ったことはないし、むしろそういうことをたったの一度も自発的に求めたことはありませんでした。
誰かから「遊びに行こう」と誘ってもらった時には、もちろんそこに僕は行きたくて行っている訳なんですが、そこにはまず「相手からの誘い」がなければ僕が動くことはないんですよね。
求められないと僕は動かない中で「趣味でも見つけたら?」と諭されることがあるんですが、きっとそういうアドバイスを送って来る人は僕とは違うタイプの人間なんだと思います。
僕の人生は、僕が携わる誰かのための人生であり、それ以上でも以下でもありません。
きっと、直接会ったことのある(それなりに苦労して生きて来られた)人なら分かると思うんですが、僕と言う存在は異質なものだと思います。
そんな僕を利用しようとして来る人も沢山いますし、都合よく使おうとして来る人も沢山いますが、僕はそんな中でも人を見極めて、大切な人を守れるように自分の時間を大切にして、成長していけたらと改めて思いました。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。