大好きなおばあちゃんの四十九日を終えた僕が今思うこと。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)
先日、昔からおばあちゃんっ子だった僕にとって大好きなおばあちゃんの四十九日を無事に終えることが出来ました。
僕は初七日から四十九日までのお逮夜を全て出席してつとめましたが、お経が唱えられる度に色々なことを考えてしまった修行の様な日々でした。
ということで今回は、大好きなおばあちゃんの四十九日を終え他僕が今思うこと、についてお話ししたいと思います。
命日から四十九日までのつとめを果たして。
この四十九日間は、僕にとって何度かタイムスリップを繰り返したんじゃないかと思うくらい、濃い四十九日間だったと感じます。
プライベートで心を揺さぶられることがあり、その中でおばあちゃんの訃報を聞き、10年以上会っていなかった父親と再会し、色々なことがたった1週間でめまぐるしく動いた忙しない時間でした。
元々メンタルの調子は良くなかった僕にとって、自分の心が宙に浮いてしまったような状態で「やるべきこと」を判断しないといけない状況は、今の僕にとっては重く耐えられるか不安でしかありませんでした。
僕は長男として「強くいる」ということが正解だと感じていましたが、色々なことに直面し、分岐点に立った僕にとってそれは、やりたくてもそう簡単に出来ることではなかったんです。
おばあちゃんに胸を張って見せられる生き方が出来ているのか。
おばあちゃんが入院して、コロナの影響で面会も出来ず、ちょっとやそっとでは病院からは出て来られなくなってからもうかれこれ2年くらい。
僕はそれ以前におばあちゃんが入院した時には、毎日のようにおばあちゃんの病院にランニングで向かっては面会していました。
あの当時の僕は、今よりも収入も低く仕事も忙しくなかったのかもしれませんが、それでも今思い返せば「人として」の部分で僕は輝いていたんだと思います。
「いつもありがとう」とおばあちゃんに言われることが偉いことではないのですが、そういった部分が僕にとっては「おばあちゃんに胸を張って見せられる生き方」だということも感じていました。
無になることが苦痛だった四十九日までの期間。
四十九日までの期間、僕は自分の心の位置が定まっていなくて、お経を唱えらえる度に目を瞑って無になる瞬間がすごく怖かったんです。
ここ数年の自分、今の自分を思い返し、これからの自分を想像したりしてしまう不毛な妄想の中で、ジッとしていることがいたたまれなくなった僕は、お経中に冷や汗をかいたり、手が震えたりもしていました。
どうして僕が今こういう立場になっているのかと言えば、それは全て自分の責任ではなくて、周りの環境が作り出した僕だということは間違いなく胸を張って言うことは出来ます。
ただ僕は「待つ人」であって、それが中途半端とか無責任とか言われたりするんですが、僕自身はそれを「相手に選択やタイミングを委ねる優しさ」だと思っているんですよね。
少しは自分に素直で優しくしてあげようと思った。
この四十九日間には色々なことがあって、僕は色んなことを通じて自分の歩んで来た道に「よく頑張りました」と初めて自分で思ったんですよね。
僕はいつも家の中でカタカタとパソコンを触っているだけで、自分の立ち位置や景色が変わらないからこそ、あまり人と接する(比較する)様な機会がないんです。
だからこそ気付けないことは沢山あったんですが、もっと自分に素直で(少しわがままにでも)、優しく生きていっても良いんじゃないのかなって思える様になったんですよね。
僕はおばあちゃんがの訃報を聞いた時に、おばあちゃんに「よく頑張りました」と思って気持ちよく笑顔で送り出せたあの瞬間を経験して、僕にとってもそういうこともあるんだと感じました。
「捨てる」なんてことは出来ないけど、誠意を持って待ち続けたからこそ潔く送り出すということは出来ると思ったし、それもひとつの自分の優しさなのかなと思える様になりました。
自分を傷つけながらも必死で耐え続けた先に、僕にとって明るい未来なのかどうか分からない未来が訪れることもありますが、僕この四十九日間でまた1つ強くなれたんだと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。