僕が思う「人を応援するという立場の人」のあるべき姿。
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僕が思う「人を応援するという立場の人」のあるべき姿。

2021.07.09
2021.07.07

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

僕は昔から夢を持ってそれを追いかける人で、その方法として、夢に辿り着くまでの小さな目標を立てて、それを1つずつクリアしていくことで夢に近付いていくというスタイルを持っています。

そんなことで日々、大きな夢に辿り着くまでの小さな目標に対する制限を、毎日少なからず抱えながら生活しているんですね。

ということで今回は、僕が思う「人を応援するという立場の人」のあるべき姿、についてお話ししたいと思います。

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僕の家系は生粋の「甘やかし家系」である。

夢や目標を持っている人間からすれば、「逃げ道」とか「甘え」とかって言葉にすごく敏感だと思うんです。そりゃ、しんどいことに耐えている中で、楽な道があるよって言われたら、そっちに引っ張られそうにもなりますよね。

そんな中、僕の家族は生粋の「甘やかし家族」で、昔から僕が「学校を休みたい」と言えば休ませてくれるし、「(実は痛くもないのに)怪我をしたからサッカーを休みたい」と言えば休ませてくれるような感じでした。

これを1つの優しさと捉えることで、僕自身もそんな優しさに触れて、人よりも優しい一面を持つことが出来た部分もあるので、完全にそれがダメだということではないのですが、いざ自分が大人になって「夢を持つ」というステージに立った時の弊害になったことも確かなんです。

ダイエットをしている人の前に「好物」を置く行為。

皆さんにわかりやすく説明をするとすれば、「2週間で3キロダイエットする」という目標を立てた時に、どうしても必要になってくるのは「食事制限」と「運動」だと思います。

そこで、もし自分がひとり暮らしではなく実家で家族と住んでいた場合、家族に依存した形でダイエットをする必要が出てくるんですが、運動は自分のペースで出来ても、食事制限に関してはなかなか自分のペースとはいきません

家族がせっかく作ってくれた料理を「要らない」とは言いにくいし、いくら自分で「油の多い物は食べない」と決めていても、いざ目の前に大好きな料理が置かれていたら食べたくなるのが人間なんです。

夢や目標を叶えようとする中で、こういった逃げ道や甘えに如何に打ち勝っていくかの勝負の中で、僕は「選択肢を消す」という手段を取って、「そこになければ食べることが出来ない(もしくは考えることもない)」という状況を作り出すことが大切だと思っているんです。

ただ、自分以外の誰かによって(甘えの)選択肢が生み出された時、自分にとってそれは「理不尽に強いられた余計な我慢」でしかないんですね。

「理不尽に強いられた余計な我慢」と戦う。

最初にも言ったように、僕は昔から甘やかしがちな家族の環境で育ってきて、自分をコントロールするという感覚が欠損して生きてきた人間で、高校生になった時のサッカー部の強い上下関係で、色んなことを強く学ばせてもらいました。(元々礼儀だけはしっかりしてたけどね。)

自分がミスをしたり、試合に負けたりすれば「グランドをずっと走っとけ」と言われたり、毎日のように「理不尽に強いられた余計な我慢」と戦うことを続けさせられていたんですね。ただ、その中で偶然見つけたのが「根性論」で、余計な我慢に打ち勝つことで、もっと強い自分を手に入れることが出来ることに気付いたんです

僕のナメ腐ったメンタルを矯正してくれたキッカケを作ってくれたのは、高校時代の部活動だったと今でも記憶しています。そしてこのメンタルを持って、大人になって、夢を持つようになってから迎え撃つことになった困難にも立ち向かえるようになりました。

めちゃくちゃ貧乏な時期に甘い話が来ても、仕事で楽で美味しい話が来ても、自分の信念とは違うことが来た時に、絶対になびくことなく真っ直ぐに進むことが出来たんです。だからこそその証明として、今の僕を取り巻く素晴らしいクライアントさん達との関係があると思っています。

「人を応援するという立場の人」のあるべき姿。

ただ僕は、夢や目標を持っている人に対して「人を応援するという立場の人が取るべき行動」は、逃げ道や甘えを提示することではないと思っています。

もちろん、辛い時に手を差し伸べる形で「逃げ道もあるよ」ってことを教えてあげる程度なら良いんですが、ダイエットを頑張ると言っている人間の前に、毎日のように我慢しているものを置くのはおかしいと思います。

辛い時に逃げ道を示す優しさ」も1つ、そして「静かに見守る」も1つだと思うんですが、僕が思う最高の応援とは「一緒にやる(寄り添う)」だと思っています。

結局、その人が抱えている辛さや我慢なんて、本人にしか分からないと思うんです。だったら少しでも本人の立場に立つことが、一番リアルに寄り添うことが出来ると思っています。(本人の立場で考えるということもそうです。)

全く同じことをすることは出来ないと思いますが、ただ自分が何も経験せずに逃げ道だけを提示するのは少し違うと思うので、「どれだけの我慢に今本人は耐えているのか」を知った上で、一緒に進んであげることが大切なんだと感じました。

過去の経験から、人の努力の辛さをリアル感じることが出来たからこそ僕は、身近な誰かが「禁酒する」「ダイエットをする」「運動をする」と行った時は迷わずに、「じゃあ一緒にやろうよ!」と言える人間になることが出来ました

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer