難しい言葉を知っていて使うことが賢いという訳ではないことを理解する。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し9年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,570日、毎日ブログは1,340日を突破。(2023年12月31日現在)
皆さんは「MTG」って言って意味が伝わりますか?って聞いた時に、恐らく3割以上の方は分からないって答えるんじゃないでしょうか。
実はこれ「ミーティング」の略語らしいんですが、お仕事での他の方が使っていたことで最初は「ん?」ってなったんですが、話の流れを汲み取った上でやっと理解したのを覚えています。
ということで今回は、難しい言葉を知っていて使うことが賢いという訳ではないことを理解する、というお話をしたいと思います。
難しい言葉を言われてもバカな僕には分からない。
冒頭でもお伝えした通り、僕がバカなだけかもしれませんが、MTGとかだけじゃなくて、自己研鑽(じこけんさん)とか言われても「読めないし調べないと意味わかんない」って感じなんですよね。
で、自己研鑽って意味を調べてみると「自分自身を鍛えること」って出てくるんですが、だったら最初から自分を鍛えるって言ったら良いじゃないですかって思いませんか?
会話の中で「自己研鑽って何ですか?」って質問することって、本来の会話から絶対に脱線してる内容だと思うんですよね。
盛り上がってる盛り上がってないということではなくて、難しい言葉をいちいち言われるよりも、分かりやすい言葉で伝えてスムーズに行く方が絶対に僕は良いと思っています。
相手に伝わる言葉選びをする親切さ。
で、僕がここで想像して欲しいなと思うのが「思いやり」の部分で、相手に伝わりやすい言葉選びをすることっていうのは、絶対にそれに当たることだと思うんですよね。
だからこそ、難しい言葉を知っていることが偉いんではなくて、知っている上でも「相手に伝わる言葉選びをする親切さ」ということこそが思いやりだと僕は思います。
子供に話す時、おじいちゃんおばあちゃんに話すときに「MTG」なんて羅列は絶対に使わないじゃないですか?
だからこそ、僕はそういう意味で「知識のマウントを取りたいだけ」とか「思いやりがない」と言った感覚でしか受け取れない訳なんですよね。
言葉は気持ちを伝えるためにあるもの。
根本的な話をするんですが、そもそも言葉って知識のマウントを取るものでは決してなく、気持ちを伝えるためにあるものなんですよね。
気持ちの伝え方には色々あると思っていて、手紙だと「手書き感」とか、本だと「情報量」とかある中で、言葉って直接的なやりとりも、メールなんかのやりとりでも「感情」の部分が多いじゃないですか。
そんな時に「相手が調べないと分からない」って親切じゃないし、それを噛み砕いた上でより想いが伝わるように伝えるのが一番の優しさだと僕は思っています。
言葉は気持ちを伝えるためにあるものだからこそ、僕はそういうところに「人」を見るんですね。
メッセージデザイナーとしての想い。
僕は自分自身の制作をする上で「伝えたいユーザーに届くデザイン」というのを常日頃から心がけています。
そんな中で「意味が伝わらない」とか「想いが伝わらない」とかって本末転倒だし、むしろ絶対にあってはいけないものだと思っています。
そんな中で、普段の会話から僕がホームページ制作の際に急に「FTP」とか「アナリティクス」とか「ソース」とか言ったりとかしてたら、専門外の人からすれば訳分からないじゃないですか。
それを平然と、専門ではない人の前で一旦「今のソース見せてください」って言われて、冷蔵庫からソース出してくることを笑ってるシーンとかって絶対に不健康ですよね。(ソースっていうのはWEB用語でいうところの元データみたいな感じです多分)
まずはそれを発言するということ自体を控えることが優しさだと思うし、もっと優しいのは「1発で伝わる」という選択肢を選べるかだと思っています。
そういう意識が自分自身の仕事にも出ると思うし、人としての思いやりにつながってくるんだと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。