【善意とは】人を助けるということは自分を傷付けるということ。
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【善意とは】人を助けるということは自分を傷付けるということ。

2020.11.19
2020.11.19

どうも、コウタです。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し5年目となります。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,400日(202010月現在)を突破しました。

僕がフリーランスとして活動する中で、”善意が先立つ行動“はこれまでにも結構ありました。

それこそ今回のコロナの影響で、僕自身は在宅で在庫すら抱えないお仕事なので、そこまで大きな影響はありませんでしたが、店舗を構えているクライアントさん達はかなりしんどい状況になっている方もいらっしゃいました。

持ちつ持たれつ、お互いに支え合いながら頑張って来たクライアントさんを、僕は絶対に見捨てることは出来ないし、僕が出来ることと言えば「値下げ」や「技術の無償提供」などでした。

そう考えた時に「人を助ける」という行為は、少なからず「自分を傷付ける」ということが成り立っていて、実はこのことに僕は19歳くらいから気付いてたりします。

ということで今回は、「善意とは人を助けるということは自分を傷付けるということについてお話ししたいと思います。

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僕が人に優しくすることが自分を傷付けることだと知ったキッカケ。

過去にも何度かブログで書いたことはあるんですが、実は僕19歳~21歳くらいまでの約1年半~2年の間、自分の夢や希望なんてものを一切捨てている時期がありました。

今改めて思い返せば、その時期にしか学ぶことが出来なかったと思うようなことはありましたが、当時の自分にとっては感情を捨てていると言っても良いくらいの待遇で生きていました。

簡単に説明すると、父親の借金の担保が実家で、実家がなくなったので突然住む場所がなくなり、僕は弟を守るためにその期間ほぼ無償で働き続けていました。

話すと長くなるんですが、その期間ずっと父親と共に働き続け、僕がもらえた給料は約1年半~2年の間で約9万円でした。(※月9万じゃないよ)

そんな状況に病んで、半ばひねくれていた僕は「善意とは自分が傷つくもの(犠牲になるもの)だ」ということで理解せざるを得なかったんです。(後にそれがあながち間違っていないことだと気付いた)

アンパンマンに見る善意の形。

そんな時に僕の人生を変える言葉と巡り会いました。

それが本だったのか、何かのインタビュー的なものだったのかは忘れましたが、記憶が正しければ「ダウンタウンの松本人志さん」が、アンパンマンについて言っていたことが妙にしっくりきたのでご紹介します。

アンパンマンはお腹を空いてる人を助けるために自分の顔をちぎってあげている

親しみやすくて、子供達のヒーローであるアンパンマンは実は残酷で、コンセプト度外視にして、もし人間に置き換えたらあり得ない「自分の顔を食べさせる」という行為は、「自虐性」があるといってもいい行動だと思います。

僕はこの発言をした松本さんを、今でも人生の師だと思っていますし、それを描かれえた「やなせたかしさん」もとても素晴らしい人だと思います。

改めて歌詞に注目して聞いてもらいたいんですが、アンパンマンの主題歌「アンパンマンのマーチ」の歌詞が、僕は昔から深過ぎると思っていて、そんなことも含めて、僕はこれを”アンパンマン思想“と呼んで、人生の歩み方を感じていたりします。

関連リンク : アンパンマンのマーチ歌詞(by うたまっぷ)

自分が傷付かず助ける方法はないのか。

当時それに気付いた僕は、自分が一切傷付かずに人を助ける方法はないのかと考える日々が続きましたが、結論から言えばそれは存在しません。(今も探し続けています)

ここで傷付くを定義するとすれば「自己犠牲を払う」ということなので、自分の時間をその対象に使うということ全てにおいて「傷付く」という解釈になります。

そこで例えば、困っている人が「お金」を渡せば問題を解消出来るとすれば、なんだか時間をかけずに助けられそうな気はしますが、僕がお金を提供しようとすればするだけ、そのお金を稼ぐことが出来るようになるまでの時間を提供することになっています。

「じゃあ自分じゃない誰かと繋げれば良いじゃん!」って感じになると思うんですが、これまで自分が人と関われたこと全てにおいても、自分の積み上げて来たプロセスの賜物であるので、自分の時間とは無関係とは言えないのです。

こんな風に考えた時に「僕らは誰かを助ける時、必ず自分は傷付いている」ということが理解出来ると思います。(助けることで心が痛んでいるということではありません)

人の優しさを受ける時、相手は傷付いていることを理解する。

よく自分の都合で、人にアポなしで電話を掛ける人がいて、その行為が「人の時間を奪っている」という風に表現されると思うんですけど、まさに今日お話ししたことがそれなんですね。

人の時間を奪うということは、相手が自分の人生を犠牲にしているということなので、ここをしっかりと考えられるようにしておかないといけないんです。

そう考えた時に、傷付けるということは決して心や身体の傷を作るということだけではなく、時間を奪うことも1つの傷であるということですよね。

「傷を付けることがダメだ!」ということではないんですが、今回の記事が、人から受ける優しさについて「実はすごく尊い時間を自分にくれてるんだよ」って、改めて考えるキッカケになれば嬉しいです。

僕はこれからも「自己犠牲の精神」を持って向かい合いたい方々と、一緒にお仕事も含め、生きていければいいなぁと思いました。

一緒に頑張りましょう。

では、またね。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer