デザインだけではなくサービス全てにおいて重要な余白について考える。
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デザインだけではなくサービス全てにおいて重要な余白について考える。

2023.10.12
2023.10.12

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)

僕がデザインをする上で気をつけていることを端的に言うと「めんどくさくないか」ということが全てだと思います。

「効率厨」と自分自身でも感じるほど僕がめんどくさがりだからこそ、エンドユーザーを想像する時の基準がそこになっているということが大きな要点だと思います。

ということで今回は、デザインだけではなくサービス全てにおいて重要な余白について考える、というお話をしたいと思います。

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お店に入った時のスタッフの対応からサービスの余白を想像する。

まず、この発信は全てのサービスに通ずる部分があると思うので、冒頭で「デザイン」と出してしまった部分で遠ざかりそうな皆さんに対して想像しやすいように「お店に入った時のスタッフの対応」を例にお話ししたいと思います。

皆さんも経験あると思うんですが、百貨店とかでファッション系のお店に入った時に「すかさず声をかけて来る店員さん」がいて、うんざりした経験はあったりしませんか?

僕はその時のテンションにもよりますが、酷い時は「良かったらお伺いしましょうか?」とか「本日は何をお探しでしょうか?」と声をかけられた瞬間に、何も言わずにお店から出てしまうことだってあるくらいです。

そういった接客サービスの中で僕が思う今回お伝えしたい「余白」とは、「お客さん自身が自由に考える時間」だと思っていて、それを速攻で害される時の気分は最悪で、僕はいつも心の中で「ゆっくり見てみたいから声をかけないで…」と祈っているんです。

明太子販売のテキ屋を経験した僕が感じるお客さんの動き。

僕がなぜこういうお話をするかというと、実は19~21歳までの2年程の期間、あり得ないほどの人見知りだった僕が「対面販売で明太子を売るテキ屋」で、家庭の事情で働かざるを得ないことがありました。

その時に、会社の他の人間や、周りの同業者はデカい声を出して、人によっては輩のように無理やりお客さんに商品の購入を促すような「荒らし」みたいな販売方法の人が多かったんですね。

そういう過去があったので、お客さんからは「テキ屋から声をかけたら買わされる」という感じで思われていたりもして、僕はそこで「お客さんにケツを向けていらっしゃいませすら言わない販売員」になることに徹しました。

僕がひたすら店頭でお客さんにケツを向けて作業してるもんですがから、お客さんが「お兄ちゃん何してんの?」みたいな感覚で覗き込んでくるようになり、警戒心がない人とスムーズな会話が出来ている雰囲気が行列を生むという感覚を何度も経験しました。

で、僕は敢えてお客さんにケツを向けることで出来る時間を「お客さん自身が自然に迷える余白」だと感覚的に感じていました。

デザインにおいて重要な余白について考える。

僕はこの感覚を「デザイン」にも置き換えられると思っているんですが、例えばチラシを配られた時に「大量の文章」がデザインとして覆い尽くしていた時に、それ見て皆さんならどう思いますか?

「読むのめんどくせ」って思って速攻でゴミ箱に捨てるか、「紙をあまり無駄にするなよ」みたいに思ったりするんじゃないでしょうか。

百貨店の定員だって、明太子のテキ屋だって、デザインの表紙だって、いつだって「ちょっと見てみよう」と思わせるのが正解であって、「めんどくさそうだから止めよう」と思われたら負けなんですよね。

だからこそ、デザインにおいても「余白」がすごく重要で、それは簡単に言えば「惹きつけるコピー」であったり「画像やイラスト」で、もっと言えば「デザインのない空白(余白)」だったりする訳なんです。

エンドユーザーがどういった人間かを見極めてデザインする。

先日、「チラシのデザインに迷っている」という方からの相談を受けた時に見させてもらった構成案が、大量の文字で埋め尽くされていたんですが、速攻でそのデザインは「誰も読まない = すぐ捨てられる」とお伝えしました。(酷い言い方でごめんなさい)

あとは小難しい専門用語が多々入っていたり、「ここまで細かく読まないよ」ってくらい噛み砕かれた(その方からすれば親切だと思う)情報達がふんだんに盛り込まれていたんですが、僕はそれをバッサリカットして再提案を投げました。

話を聞けばその方は「文章を読むのが苦にならない人」だったんですが、エンドユーザーがどういった人間かを見極めてデザインするという上で言えば、「可処分時間を奪われたくない人」でこの現代の世の中は溢れかえってるということを理解した方がいいんですよね。(可処分時間とは自分で自由に使うことができる時間のこと)

冷静になって考えて欲しいんですが、同じ情報が1時間で入って来るのと1分で入って来るのだったらどっちを選びますか?って話なんですよね。

僕はまず「興味を持ってもらうために敢えて作る余白」こそが、「最初から全てを詰め込み過ぎない」ということで、ふんだんに情報を盛り込むのはそこで興味を持った人にだけで十分です。

大半の人は、細かい情報でその選択を決めてなくて、端的で簡潔な情報だけで「よし行こう」ってなれるし、その上で更に僕みたいに「詳しく知りたい」って慎重派の人に対してフォロー出来る状態を作っておくのが大切かなと思います。

僕が文章を読むのがめちゃくちゃ苦手で、更にはこんな長ったらしいブログ書いててあれですが、僕がデザインをする(サービスを提供する)上で一番気をつけてるのが「めんどくさいを消す」ってとこで、要するに「余白」って大切だよねってことが伝われば嬉しいです。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer