物で解決した先の未来に、成長は存在しないということ。
本ブログではアフィリエイト広告を利用している可能性があります。
2648 1428

物で解決した先の未来に、成長は存在しないということ。

2021.09.04
2021.08.21

本日の記事のラジオVer.はこちらをクリック | by stand.fm

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

これは自慢をしたいということではなく、僕の幼少期はどちらかといえば裕福な家庭で育ったこともあり、大人になった今も高級品なんかに対して惹かれるということはなく、良い物を食べたり、高いものを身に付けたり、良いホテルに泊まったりといったことに正直なんの驚きも魅力も感じないんですね。

そんな感覚を持っている僕だからこそ、「お金で解決する」ということに関してすごく浅はかだなと感じでしまったりします。

ということで今回は、物で解決した先の未来に、成長は存在しないということ、についてお話ししたいと思います。

スポンサードサーチ
スポンサードサーチ

謝罪時の「菓子折りの金額」ではなく「誠意」が大切。

例えば、何かトラブルが起きてしまった時なんかに菓子折りを買って謝罪に行ったりすると思うんですが、あれって、別に菓子折りがなくても、相手に対して誠意が伝わればそれで良いんじゃないかな?って思ったりするんですよね。

ただ、一般的な社会のルールとして「菓子折りを持って挨拶に行く」ということがマナーになっているというか、そういう意味で菓子折りを持って挨拶に行っていると思うんです。

でもやっぱり1番大切なのは「誠意」であって、菓子折りの金額が1000円なのか1万円なのかで誠意が変わるということはないと思うし、その金額が一般的なマナーであったとしたら僕はおかしいと思うんです。

そう考えた時に、菓子折りなんて無くても誠意どうすれば伝わるかを考える方が、より深い謝罪が出来ると僕は思うんですね。

「お中元」や「お歳暮」などの年行事に思うこと。

僕の家族って、そういう体裁にすごく拘る部分があって、僕はそれに昔からすごく違和感を感じているのですが、例えば「お中元」とか「お歳暮」とか、車で5分10分で会いに行けるような間柄でも、百貨店なんかで売っている高い食品を送り合ったりするんですよ。

そういう文化があっても良いと思うんですが、やっぱり僕には理解が出来なくて、そんなことにお金を使うくらいなら、一緒に旅行や食事に行ったり、もっと建設的に、家電とか、今後に残っていく物にお金を使った方が良いと思うんですね。

お金が有り余っているなら別に良いんですが、お中元やお歳暮に関係なく、家族のような身近な存在からそういうことをされるのはすごく勿体ないと感じでしまうので、失礼なのかもしれませんが、僕はそれに対するお返しを同じように物では返したことがありません。加えて、もう止めて欲しいとお願いもしています。

一般的な仕来りに固執しすぎない事。

謝罪の時は菓子折りを持って行くとか、お中元やお歳暮を送るとか、もちろん古き良き文化ではあると思うんですが、僕はその行為単体で見た時に、古き良きを全て真似る必要はないと思うんですね。

なので僕は、一般的な仕来りに固執しすぎない事を、1つの自分の中での指標とすることをすごく大切にしています

誰かにプレゼントをする時だって、もちろんもらった瞬間は誰でも嬉しいと思うんですが、それは「相手が自分のことを考えてくれている」という感覚が嬉しい訳であって、もらった物に喜ぶわけじゃないじゃないですか?

なんなら実際のところ、自分が欲しいものを「ほしい物リスト」みたいに書いておいて、その中からプレゼントを貰った方が実用的で1番嬉しいですよね。

誕生日だから、お見舞いだからといった感じのことで、「物を買う」という行為自体で満足している訳だけではないと思うんですが、必ずそれをセットにしないといけないと思うことだったり、それだけで自己満足することがあまり好きじゃないんですよね。

物で解決した先の未来に、成長は存在しないということ。

少し話はそれてしまったかもしれないんですが、要するに僕は「物で解決する」みたいな構図が嫌いなだけであって、世間のマナーを重んじて必ずしもそういう形を取らないといけないという感覚を持つことが危険だなって思うんですね。

人間色んな感覚を持っていると思うので、そんな中で、最初にも言ったように、悪いことをしたら菓子折りを持って謝罪すれば良いとか、お中元やお歳暮の時には高い食品を送っておけば良いとか、そんな感覚だけを持っていることがすごく浅いなって感じるということです。

やっぱりそんなことよりも、「物がなくても相手を想う行動」っていう未来の方が絶対に明るいと僕は思うので、自分自身にとっての思いやりの想像力を身に付けるためにも、僕は「物で解決する」ということは避けたいなと思っています。

形式的なことではなく、感情的な部分を優先して考えることが大切だと思うし、例え何かをプレゼントする時にも、そういう感情的な部分って必ず伝わると思うので、そっちを優先して考えることが大切だなって思いました。

感覚的なお話になったので、少し上手く伝わったかは難しいところですが、物で解決出来そうだという感覚になった時こそ、感情を大切に出来たら良いねってことが伝われば嬉しいです。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer