積み重ねて来た技術や経験が「少しは休んでも大丈夫」と思わせてくれる。
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積み重ねて来た技術や経験が「少しは休んでも大丈夫」と思わせてくれる。

2023.12.06
2023.12.06

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)

今年も終わりに差し掛かっていますが、実は僕の中で1つ決めていた事があって、それが「今年はお休みの年」ということでした。

昨年あたりから自分自身の心身が壊れているような気がして、頑張りたくても頑張れない状況に「頑張ろうとすればするだけ自己嫌悪になる」という状況になっていたんですね。

ということで今回は、積み重ねて来た技術や経験が「少しは休んでも大丈夫」と思わせてくれる、というお話をしたいと思います。

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自分自身の心身が壊れているような気がして。

冒頭でもお話ししましたが、昨年あたりから僕の心身(特にメンタル)が壊れていっている様な気がしていて、いくら頑張ろうとしても頑張れない「無気力状態」が続いていました。

ちょうどその頃、僕の周囲の方々の中でも同じような症状の方がいたりもしたので、ちょろちょろと「大丈夫ですか?」みたいなメッセージをいただいてたりはしたんですが、メンタルの強さが何故か売りになっている僕は「大丈夫です!」と心配してくださる言葉をエネルギーに突き進んで来ました。

そんな中で「あ、ちょっとダメだ」みたいな感じになって、仕事どころじゃなくなっている自分がいる一方で、僕が積み重ねて来た信頼を崩すわけにはいかないと「いつもの自分」を演じ続けていたんですね。

その結果、案の定今年の中盤くらいから一気に僕自身が崩れてしまって、(頑張っているつもりが)いつもより頑張れていない自分を責めるスタンスから、頑張れていない中でももがいてる自分を褒めるスタンスに変わっていきました。

積み重ねて来た技術や経験が「少しは休んでも大丈夫」と思わせてくれる。

ただ、僕のメンタルがぶっ壊れている状況を知っている人達はというのは「メンタルが壊れた事がある人」だけで、それ以外では僕は当たり前のように過ごさないといけないんですね。

そうしないといけないという訳ではないのですが、それは自分自身の自己ブランディングであったり、立場であったりを守らないといけない最低限のもので、そんな現状維持すらも厳しいほどにヘトヘトになっていた自分がいました。

一時は「もう全部捨ててやれ」みたいな気持ちにもなったりもしましたが、それでも僕の根っこにある「まだやれる」という感情が、少し荒々しい燃え方をしながらも炎を絶やすことはありませんでした。

それでも限界は普段よりも早くくる訳で、集中も続かなければ、モチベーションも上がらない、日常の継続の強度もダラダラの中でも、積み重ねて来た技術や経験が「少しは休んでも大丈夫」と思わせてくれる様な気がしていました。

命懸けで生きて来たからこその代償。

思い返せば僕は、19歳の頃から「自分の人生」というのを捨て去って、「誰かの笑顔のために」という目的の元で、何故かクリエイターという職業を選ぶこととなり、そこで食えるとは思えなかった状況のまま突き進んだ未来に今立っています。

「センスがあったんですね」と言われる事が多いですが、自分でも今ここに立っていることが不思議なくらいのポテンシャルで、自分で言うのも何ですが「努力は裏切らない」と胸を張って言えるほどに(不器用に)命を燃やしていたと思います。

もっとスマートな生き方はあったと思う一方で、僕のように遠回りを遠回りとしない全力疾走で、人の2倍も3倍も早いスピードで、且つ休むことをせずに突き進んで来た様に今なら感じます。

そんな命懸けで生きて来たからこその代償が、今になって「息切れ」という形でのしかかって、実は僕の心身はもうすでにボロボロだったんだと実感しました。

自分の心と身体が分離したような不思議な感覚を過ごして。

で、この今の状況を説明するとすれば「自分の心と身体が分離したような不思議な感覚」という感じで、僕の身体の中に僕の心がいないような状態なんですよね。(合体してないような感じ)

これって、僕は19歳の時に感じていた「幽体離脱」的な感覚だったんですけど、いつも僕の後ろからもう1人の僕が僕を見守っていて、毎日のように自己採点をしたり、時には庇ったり、面白がったりしているような感覚なんです。

もう1人の自分はいつも冷静に、「今日はこれとこれをやって…」とか「これをすれば自己肯定感が上がるよ」とか「これをするからダメなんだ」といった感じで、毎日のように自分を採点するような感じで、何だか不思議な時間を過ごしています。

そんな中でも「最低限」だけは絶対に遂行する僕自身の本能に、これまで積み重ねて来た今のベースとなる技術や知識を感じて「少しは休んでも大丈夫」と思わせてくれるんですよね。

凡人の僕が、誰かの何者かになるために色んなものを犠牲にして燃やして来た命は、今の僕に「休憩」という選択肢を与えてくれているような気がします。

いつまで自分自身が休憩しているかはまだ分かりませんが、休憩している自分を俯瞰で見ながら、もう1人の自分は着々と「やるべきこと」をまとめ始めています。

僕が2人いるからこそ、もう1人の休憩は決しておごりじゃない安心感があって、そのに安住せずにチャレンジして、もう1人の自分がまとめ始めているやるべきことを爆発させます。

こんな時は無理せずに、ゆっくり傍観したいと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer