「人を信じる」という純粋さの裏にある、自分の感情を失うことへのリスク。
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「人を信じる」という純粋さの裏にある、自分の感情を失うことへのリスク。

2021.07.06
2021.07.06

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

多分、僕って、人一倍感受性が豊かで、自分で言うのもなんですが、家族思いで、友達思いで、すごくすごく優しい人だと思うんです。

お金を貸したりとか、そういうことへの理性は絶対に消えたりはしないものの、困っている大切な人がいたら、絶対に首を突っ込んでお節介をかましてしまうような性格の人なんですね。

ということで今回は、「人を信じる」という純粋さの裏にある、自分の感情を失うことへのリスク、についてお話ししたいと思います。

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包み隠さずに言えば。

僕は昔、(実際に診断はされていませんが)うつ病だったと思えるほどに沈んだ時期を過ごしたことがありました。

こんなこと言ってはいけないんですが、生きる意味が見つからず、廃人のように自分の存在価値や生きる意味を探しては、「この世に自分は必要ないんじゃないか?」ってことを考えてしまうような時期が、過去の僕にはあったんです。

そんなメンタルの弱さを実感しているからこそ、僕は「毎日ランニング」を続けていて、自分の弱さに打ち勝つための努力を続けていたりします。結果として体型維持が付いてきているだけで、実際は、メンタルを保つことを目的とした努力でしかないんですね。

表向きに、虚勢を張っているわけではなく、強い自分でいようとし続けることが、結果的に自分のメンタルを保つキッカケとして、必要最低限なくてはならないものになったということなんです。

包み隠さずに言えば、毎日ランニングを、ホントに1日も休まず5年間続けて来られたのは、僕のメンタルが強いからではなく、弱いメンタルを守るためだけのことに過ぎないんです。

「人を信じる」ということへのリスク

冒頭でも言ったんですが、僕って自分で言うのもなんですけどホントに優しい人だと思うんですね。ただ、その優しさの裏には「自分が傷付くことがある」っていう事実が付き物だったりします。(アンパンマンの描写とかまさにそうですよね。)

見返りを求めて何かをするといったことでは決してないんですが、自分が優しさとしてとった行動に対して、必ずしも笑顔が返ってくるとは限らなくて、なんだったら、想像もしていないほどの辛さが返って来たりすることだってあります。

例えば、電車に乗っていて、お年寄りの方が乗って来たから「席どうぞ」と譲ろうとした時に、その人から「ありがとう」ではなく、「自分立ってられるわ!失礼なヤツめ!」みたいな理不尽なリアクションが返って来ることもあるってことです。

自分としては、自分よりも歳が上の方にただ善意で席を譲っただけなのに、なぜかその善意が、善意と伝わらずに怒りを買ってしまったという状況は経験したことがあると思います。

ただ、優しい人にも感情はあります。何度も何度もそういう状況が続けば、今度は「自分が傷付くことを避ける」というメンタルになってしまうんです。

「自分が傷付くことを避ける」というメンタル。

自分が傷付くことを避けるメンタルっていうのは、人の笑顔を生き甲斐にしている僕のような人間にとっては致命的なメンタルなんですね。「こうしたら喜ぶだろうな」ってことがあっても、返って来るリアクションに恐れて何も出来なくなってしまうんです。

野球選手の話で有名なのが、ピッチャーの選手がバッターの選手にボールを当ててしまった時に「イップス」という病気?的なことになるんですが、要は、相手にボールを当ててしまった時の印象が脳に強く残り過ぎて、ボールを上手く投げることが出来なくなるという症状ですね。

当てるつもりがなかったのに、当ててしまって、そこでバッターの選手が怪我なんかしてしまっったりした時には、深刻なイップスになって、選手生命を絶たれる選手も実際多くいたりします

そこまで酷いようなことではないのかもしれないんですが、「優しさ」や「信じる」という行動の中にも、イップスに似たような背景は少なからずあると僕は考えています。

自分の感情を失うことへのリスクと向き合いながら。

こんな風に、「優しさ」や「信じる」という行動の先には必ずしも明るい未来が待っているということは断言する事はできなくて、僕が過去に経験したうつ病のような「自分の感情を失う」といった感情になるリスクもあるんですね。

目の前のことがどうでも良くなって、そんなに傷付くのであれば「自分ために自由に生きたい」と思う反面、そんな自分は嫌いだというループに入り、迷走してしまうような感覚です。

自分の安定したメンタルを作り出すのは、自分自身の行動だけではなく、周りの環境もすごく大きく関わってくる要素だと思うので、こういう時に「自分はダメな人間なんだ」とあまり思い込み過ぎないようにして欲しいなと思います。

自分を必要としてくれる環境は必ずしも、今、自分がいるその場所だけとは限らないです。時には違う世界を見ることも必要だし、もしかしたらそこに自分の価値が生まれる場所があるかもしれません。

全てが上手くいっている中でも、1つ歯車が狂うだけで上手く回らない世界があると思うので、そんな時は、自分だけじゃないと思って、それを勇気にしてほしいです。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer