「努力をしている人」が結果に関わらず美しい理由。
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おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)
自分が継続という努力を日々続けている上で、色んな方とお話ししている中で感じるのは「努力は報われない」「変化が分からない」「結果が伴わない」と多くの悲観的な意見があるみたいです。
ただ僕は、だからといって「努力をしないという選択」はちょっと違うのかなと思います。
ということで今回は、「努力をしている人」が結果に関わらず美しい理由について、お話ししたいと思います。
努力は結果が全てではない。
多くの人は、「努力をすれば何かしらの結果が残る」と思っていると思いますが、僕はそれは「目標設定の加減の問題」だと思っていて、例えば、なれる人数がある程度決まっている「プロサッカー選手になる」という目標を持って努力をしたとしても、それが叶うという保証はありません。
ただ反対に、「1ヶ月で3キロ痩せるという目標」は、しっかりとした食事制限や運動を続けていれば、確実に目指せる目標だと思うので、「結果が伴いやすい努力」だと言えると思います。
そういう風に考えた時に、目標設定が高ければ高いほど報われない努力もあるので、努力する意味がないと悲観的な意見を言う人が沢山出てきてしまうのもある意味で納得出来る部分だったりします。
でも僕は、自分自信が毎日「ランニング」や「ブログ」を継続するという努力を続けていて、これをすることで「何か大きな変化を生んだか?」と考えた時に感じたのは、そこまで何かが急激に変わるような「劇的な変化」はなかったということです。
地道な努力の結果はいつも地味なので、その変化は自分でも気付かないレベルで少しずつ変わっていくことが多いです。
なので、決して結果が出ないということではなく、”結果が分かりにくい“ということでもあると思います。
口だけの人間にリスペクトは生まれない。
で、多くの会社員の人が言う愚痴の中でも圧倒的に多いのが「上司が動かないくせに偉そうに指示を出して来る」というのがあると思うんですが、これは要するに「行動が伴っていない人間を尊敬出来ない」ということですよね。
「指示を出すなら出すなりの行動をした上で発言をしろ」と多くの人は感じると思うし、その反対に、圧倒的な行動をしている人の指示を前にすれば、断る理由を見つける方が難しくなると思います。
ここで人を動かすのは相手に対する「リスペクト」で、要するに「口だけの人間にリスペクトは生まれない」ということなんですね。
自分自身に権威性を持たせるためには、まずは自分自身が圧倒的な努力をしないことには、どんなに正しいことを発信しても人の心には響かないんです。
結果が残らなかった努力は「人柄」に変わる。
今、何も継続をしていない人には分からないと思うんですが、「毎日休まず何かを続けている自分」って、知らないうちに「好きな自分」に変わっているんです。
僕は毎日ランニングを続けている自分の方が、続けていない自分よりも好きだと言えるし、継続することでの「充実感」や「達成感」は、自分自身の大きな自信となって、心も前向きになりました。(それまで誇れるようなことがなかったので。)
心が前向きになるということは、その人から滲み出る「人柄」に変わるものでもあると思うので、目標を設定したけど、その結果が残らなかった努力も決して無駄にならないと僕は思っています。(というか絶対にそうです。)
高校野球に出場している高校球児はみんな「甲子園優勝」を目指していると思いますが、そこでその目標を達成するのはたった1校のみで、じゃあその努力が報われた1校の選手だけが美しいかといえばそうじゃないですよね。(負けた学校にもストーリーがある。)
僕は努力をすることをそういう感覚で捉えているため、(もちろん目標は持ちますが)結果をそこまで目的とせずに、日々努力を積み重ねることが出来るんです。
「努力をしている人」が結果に関わらず美しい理由。
負けた高校球児だって十分に美しいストーリーがあるように、報われる報われないに関わらず、「努力をしている人は問答無用に美しい」と僕は思っています。
反対に僕は、努力をしていない人にあまり魅力を感じることが出来なくて、それはそこにストーリーが生まれないからだと思います。(何もしていないのに語れることがない。)
僕が「独学でフリーランスデザイナーになる」と決めた時の履歴書は「大学中退」で終わっていました。(今もそうです。)
ただ、当時考えていたことは、そこからの履歴書の空白の期間を「語れる人生にしよう」ということで、僕の履歴書は真っ白でしたが、普通に就職をして経歴を重ねた人と比べても、同じくらい(かそれ以上)の語れる人生になっている自信があります。
それを叶えるのは圧倒的な努力で、そういう風に努力を捉えた時に「努力をしている人が結果に関わらず美しい理由」が少しは分かると思います。
もちろん、報われない努力が多いのは承知の上ですが、努力がもたらすものは必ずしも目標を達成するか否かという結果だけではないので、どんな状況でも努力を続けられるようになれたらと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。