「自分と向き合う時間」を僕が大切にしている理由。
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「自分と向き合う時間」を僕が大切にしている理由。

2021.05.09
2021.05.09

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

僕は19歳の頃に一度、約半年間、誰とも接することのない「引きこもり生活」を経験しました。

家族とも、友達とも、誰とも会いたくなくなったというか、”当時の落ちぶれた自分を見られるのが嫌で身を隠したような状態“だったと今でも鮮明に覚えています。(夜中にコンビニに行っても店員さんの目を見れなかった。)

ということで今回は、「自分と向き合う時間」を僕が大切にしている理由、についてお話ししたいと思います。

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高校を卒業して感じた「無限の選択肢」による不安。

皆さんが想像しやす状態で言えば、コロナで急に在宅ワーク(リモート)になり、「自宅で働くこと」を探さないといけなくなった状態で、「あれ?家でどうやって働けば良いんだろ?」と悩んだ人も多かったんじゃないでしょうか?

その状況で「何もせずに1日が終わった」なんてこともざらにあったと思いますが、きっと最初は「在宅ワーク楽だなー!」と喜んでいたと思います。

ですが、そういう日が何日も何日も続くことで、「何もすることが出来ていない」と急に不安を感じてしまい、課題や目標を見失うことによって、多くの人が鬱になるという状況が生まれたと思います

それと同じように、僕は高校を卒業して大学に進みましたが、目的や目標を見出せずに約1年で退学しました。

やらないといけないことが一切なくなった状態」になった時に、自分はこれから一体何をすれば良いのか分からず、(当時は今のように認知されていないかったと思いますが)鬱的な症状になり、引きこもりをすることになりました。

高校時代は「サッカーで全国大会に出る」という目標がありましたが、そんな目標を一切失った僕にとって、「夢は何ですか?」と聞かれることが人生で一番怖かった時代でした。

情熱はあったけどエネルギーをどこに使って良いか分からなかった。

何もやる気が起きなかったというよりは、やる気はあるけど「どこにその情熱を使って良いか分からないという状態」で、ずっと心の中でモヤモヤしたものが煮えたぎっていた状態でした。

「絶対に自分は這い上がってやる!」と心に誓っているにも関わらず、そのエネルギーをどこに使ったら良いのかも分からずに、未成年という(絶対にマネしちゃダメな年齢の)中で、飲酒や喫煙を始めたのもこの時期でした。

飲酒や喫煙に走っても、今自分がやっていることは「自分のせいではなく環境のせいだ」と自分の心に言い聞かせて毎日を過ごしていましたように思います。

当時の僕は、「自分が変わらないければ何も状況は変わらない」ということすらも理解出来ずにいたんです。

相手のことを考えることが「自分と向き合う」につながる。

僕はその時、今でも覚えていますが、一人で行ったビレッジバンガードで、松本人志さんの著書「愛」に出会いました。

当時から松ちゃんが大好きで、部屋で引きこもっていた時も、(確かニコニコ動画で)「ごっつええ感じ」や「ヴィジュアルバム」なんかのコントや、バラエティ番組を片っ端から見ていましたし、mixiの「松本人志名言集」とかいうようなコミュニティにも入ったりしていました。

そこで、人生で初めて自分で欲しいと思って買った本「松本人志 / 愛」を読んだ時に、この人は「自分自信のことで怒ったり悩んだりしていない」ということを知りました。

僕の中ですごく大きな存在である松ちゃんが、テレビの中ではふざけたことをしたり、自分の不満をぶちまけているようなフリートークをしているにも関わらず、「戦争のこと」や「社会環境のこと」なんかについて、人情的に語られているのを読んで、すごく衝撃を受けたのを今でも覚えています

引きこもっていた中で「お前は何がしたいんだ?」と、ずっと「自分自身と向き合うこと」をやっていたと思っていた僕は、自分自身との向き合い方が(感覚的に)少し間違っていたんだと気付きました。

要するに、”自分のことしか考えていない人間が、自分自身と向き合っても答えなんて出るはずがなかった”ということです。

初めて「誰かのために」というテーマで自分と向き合った瞬間。

それからというもの、「お前は何がしたいんだ?」と問い続けていた僕は、「お前は誰に何を与えたいんだ?」という風な問いかけに変わっていきました。

僕自身からは「自分がやりたいこと」は見つけることが出来なかったんですが、「自分がやってあげたいこと」はすぐに見つけることが出来たんです

それが「人の笑顔を作る」ということで、この時に抱いた想いを持って、そこからの人生で何かを選ばないといけなくなった状況が出来た時には、「笑顔があるのはどっちだ?」という基準で自分自身と向き合うことが出来るようになりました。

そんなこんなで、20歳から今まで色んな仕事をしたり、色んな辛い経験もしてきましたが、いつも僕の心にあったのは「人の笑顔を作る」ということで、僕は今日もその想いを抱いてクリエイターをやっています。

それが、僕がそもそも人生に「お金」に重きを置かない理由でもあって、僕はその代わりに「笑顔を生み続けられるような選択」を日々繰り返しています。

きっと思い悩んだ時には、まずは「自分のこと」を優先してしまいがちだと思いますが、そんな時こそ(少し感覚的で難しいかもしれませんが)「自分がやってあげたいこと」というテーマで自分自身と向き合うことで、新しい答えが見つかるかもしれません。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer