自分の幸せは止めるんじゃなくて回すべきだと考えて生きて来た理由。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)
最近つくづく思うんですが、よくある「彼女が出来たから付き合い悪くなった現象」みたいな感じが、ホントに未来を損させているなと思うんです。
コロナ禍を超えた今、よりそういう思いが強くなって来て、あの辛い期間を経て来た上で今もそういう思考でいる人達を見ると残念な気持ちになるんですね。
ということで今回は、自分の幸せは止めるんじゃなくて回すべきだと考えて生きて来た理由、についてお話ししたいと思います。
Index
コロナ禍で露呈した「支え合い」の重要性。
コロナ禍を経て、僕自身が一番大きく変わったと思う部分として「支え合いの重要性」で、言葉にするのは簡単ですが、それがどういうものかを深く理解出来たことは財産になっています。
(特に飲食店の)クライアントさんの中に「もうだめだ…」と心では思っていても、長い付き合い且つ先輩が多かったという立場上、それを言えないクライアントさんが沢山いました。
そんな中で、僕は自分自身が潤っているという事ではなかったのにも関わらず、自分から「委託費の減額」「制作費用の無償化」を提案して、自分が出来ることの中でクライアントさんを支えられることをやろうと思い行動しました。
その時は僕自身も、いつまでこの状況が続くか分からない中不安ではありましたが、身体が勝手にといったらアレですが、その時の行動があったからこそ今の立場があると思っているし、そうしたことが正解だったということを確信しています。
オンライン化が進む中で感じる「支え合い」に対する温もりの変化。
冒頭でもお話ししましたが「彼女が出来たから付き合い悪くなった現象」って昔からあると思うんですね。
ただ、これから何が起こるか分からない状況で、やっぱり人って一人では生きていくことが出来ないと僕は思っているし、そこで必要なのは「支え合い」だと思っています。
これは綺麗事でもなんでもなく、僕はあの時「クライアントさんを支えたい」という気持ち一心で行動しましたが、当時の行動は今になって「あの時のお礼です…」的なリアクションとして沢山帰って来ている訳なんですね。
今はネット社会で、オンライン化がどんどん進んではいるんですが、そういう持ちつ持たれつといった本質的な部分は一切変わってないと思うし、むしろ直接触れ合うことが少なくなった今「より温もりを感じるもの」に変わっていると僕は思っています。
コロナ禍を経ても自分の幸せを追い求める人に思うこと。
あんなに辛く不安な状況を経ても尚、未だに彼女が出来たから付き合い悪くなった現象のように「自分の幸せを追い求める人」っていうのを見ると、やっぱりどうしても悲しくなってしまうんですよね。
僕個人の意見かもしれませんけど、「幸せは循環するもの」だと思っているんです。
その理屈の上で、「自分の幸せ」を基準に物事を追い求めてしまった時に、それが実ったとしてもその先がないわけで、自分が追い求める以外に幸せが回ってくることがないので頭打ちするんですね。
加えて、自分が満たされていればいる程「周りが見えない」って感覚になってくると思うので、気づいたら自分の周りから人が消えてるなんてことがあるんです。
なので僕は、そういう人に対して「平和ボケの勘違い」と思っていて、そんな自分が満たされている時こそ「人に与える時」だと思っています。
自分の幸せは「分け与えるもの」だと思って生きる。
何度も言っていますが、僕は19歳の頃に、自分のために生きるという選択を捨てました。
そこから僕は「僕の周りの人間が幸せになる選択」だけを選んで生きて来て、そんな生き方を選んで来たからこそ、僕の周りには仕事やプライベートに関わらず、利害関係なく僕自身と向き合ってくださる素晴らしい人に囲まれています。
だからこそ僕は、自分の幸せは分け与えるもんだと思っているし、自分が満たされていたら困っている人に手を差し伸べるもんだと思っているんですね。
そういう性格だからこそ、人生の選択を迫られた時に人よりも悩むことが多くて疲弊していたら「もっと楽に生きりゃいいのに」ってことをよく言われるんですが、僕は心の中で「自分のことしか考えてないあんたの感覚と一緒にしないでくれ」と思ってます。
自分がこれから選ぶ行動の先に「自分だけが笑っている世界」があることを想像したら反吐が出るし、そんな選択をするならとっとと死んだ方がマシです。
自分が生きる上で、出来るだけ多くの人に笑顔を生む選択はなんなのか?を考えたら、生きる難易度がすごく上がってしまうんですが、僕はこれからもそういう選択をし続けられる人間でありたいと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。