「与え合う」のが仲間ではなく「捨てられる」が仲間だと思う理由。
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「与え合う」のが仲間ではなく「捨てられる」が仲間だと思う理由。

2021.06.03
2021.06.03

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

僕は昔から「親友」って言葉がめちゃくちゃ嫌いで、(ひねくれた性格なので)漢字のままで見た時に、そもそも「親しい友」ってなんだよって思って鼻で笑ってしまいます。

人と人との繋がりの中で、特別に親しいような「親友」という概念を自分の中で持っている人をすごく浅い人だと僕は思ってしまうんですね。(なので僕の中では「友達」が最上級です。)

ということで今回は、「与え合う」のが仲間ではなく「捨てられる」が仲間だと思う理由、についてお話ししたいと思います。

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「異業種交流会」の説明会に参加して。

僕の友達(幼馴染み)から連絡が来て、勧誘を前提としない形の人数合わせで「どうしても頼む!」とお願いをされたので、先日「異業種交流会の説明会」にzoomにて参加しました。

事前に友達には、「俺は全然興味がないから、最初の数分参加して、人数合わせが達成出来た良きところで退出するなー」と伝えていて、それでもOKということだったので、早々に退出する予定で参加していました。

ここで1つ前置きすると、僕は決して「異業種交流会」を否定しているわけではなく、それによって助かる僕の友達のような人も存在しているのも事実なので、今回の発信で「コミュニティーがダメだ!」と言いたいわけではありません

そんな中、朝の6時半頃から説明会が始まって、条件は「音声をオン」「カメラをオン」、そしてなんとこの説明会は2時間もあるということで、よくもこんな朝早くから人を監視するように時間を拘束するなーと(少しイライラして)思っていました。

聞きたくもない(興味のない)人のダラダラとした自己紹介を10数人分聞かされて、さらには自分も自己紹介をさせられて、これに一体何の意味があるんだろうとずっと退屈していました。(僕の場合は自分の作品を見せる場もない、口だけで伝わるわけないしね。)

リーダーの発言した「方針」に感じた違和感。

そして遂に「異業種交流会とは?」といった感じの説明が、開始40分後くらいにスタートしたんですが、そこでそのチームのリーダーがこのチームに入ることのメリットや、入ったことで変わったことを話されていました。

その中で、「仕事をもらう」という観点から話されていた「マーケティング手法」の話で

  • 広告宣伝
  • PR
  • リファーラル(紹介)
  • 営業電話

というものがあるらしく、3つ目の「紹介」を理想的だと答える人が90%くらいいるにも関わらず、その「紹介」をもらうために一歩踏み出している人は全体の3%だという話でした。

そんな中、異業種交流会ではこの「紹介」をお互いで提供し合うような「掲示板」のような仕組みを作って、”それぞれの信頼関係を確認するために、朝は必ずこの時間に集まり情報を共有しましょう“といった感じの内容でした。(その朝礼に何回か不参加になると脱退しなければならないみたいです。怖)

もう僕の心はこの時点で上の空になり、これ以上話を聞きたくないような気持ち悪い吐き気のする状態になっていました。

僕の思う「仲間」の概念。

このリーダーは続けて、異業種交流会に参加したメリットの1つとして、「仲間が増えた」ということを挙げられていました。

それを聞いて、(すごくすぐく汚い言い方ですいませんが)「舐め腐ってんなコイツ」と思ったのが正直な感想で、「朝礼に参加して信頼関係を確認しないといけない」「紹介を提供しない人には紹介しない」といったような関係のどこに「仲間」という要素があるのか僕には分からなかったからです

僕の中での「仲間」とは、「離れていても繋がっていて、困っていたら(利害関係なく)手を差し伸べられる存在」だと思っていて、こんなに利害関係フルオープンの人のことを「仲間だ!」と当たり前のように言っている人を目の前にして、ほんとに鳥肌が止まらなかったです

助けられたから助けるんじゃなくて、助けたいから助けるんじゃないのか?」と考えた時に、じゃあなぜこの限定的なコミュニティーにわざわざお金を払ってまで入って、「与えないと省かれてしまう」というプレッシャーの中で、どうやって「仲間」を感じれば良いのか分からなかったんですね

先ほども言いましたが、異業種交流会のシステムを否定しているのではなく、勧誘のために、こういう綺麗な言葉で表向きに着飾っていることが嫌いで、それなら最初から格好つけたこと言わずに、「みんな仕事で困っているから、お金を払ったこのコミュニティー内で仕事を紹介し合いましょう!」って言ったら良いやんって、率直に思っただけなんです。(何でそんな遠回りな言い方するかな〜。)

「与え合う」のが仲間ではなく「捨てられる」が仲間。

結論から言えば、僕はこの異業種交流会では本当の「仲間」や「親友」という存在を見つけるのは絶対に無理だと感じました。(コミュニティー外で繋がったら分からないですが。)

その答えとして僕が持っているのは、”「与え合う」のが仲間ではなく「捨てられる」のが仲間“だと思っているからです。

僕は今回、自分の友達にどうしてもと頼まれて、”全然興味のない勧誘だと分かっていた説明会の人数合わせのために自分の貴重な時間を捨てました”。

むしろ僕は、この友人のためなら「命を捨てられる」と思っているので、僕にとっての友達なんです。(痛いのは勘弁して欲しいけど。)

友達は、ずっと「貴重な時間を申し訳ない。」と謝り続けてくれていたし、終わった後も「ありがとう。助かった。」と感謝を伝えてくれました。(負けずに頑張ってくれ。)

その一方で、この異業種交流会のリーダーは、「本音を隠した綺麗事」を並べ、「どうでも良い自己紹介」をダラダラと話せ時間を奪う典型的なテイカー(奪う人)でした。(自分ではギバーと言っていましたが…。)

自分は何も捨てていない人に「仲間になろう」と言われて、動くような心は残念ながら僕にはありません。(チームメンバーが無事に集まることを祈っております。)

僕が思う理想的な「紹介」の在り方。

このリーダーが力説していた「紹介の大切さ」を1番痛感しているのは僕で、その理由として、僕はこれまでの人生の中でお金をかけての「広告・宣伝」「営業」なんてことを一切したことがないからです。(もうすでに全部分かっているんです。)

ただ全然違うのは、その紹介の受け方として前提に「異業種交流会」がある部分で、僕の場合はそこに「作品」と「人間性」があります

お客さんに1人1人に対して120%の熱意を持って接していくこと“で、「この作品を作った人にはこんな物語があって、これだけ親身になって尽くしてくれている。」といった想いが伝わることで、誰かに紹介したいと思う存在になることで生まれる紹介が、僕にとっての理想的な紹介の在り方です

申し訳ないんですが、利害関係を前提としたコミュニティーの中で生まれる、「その仕事が出来る人」だけでマッチングするような浅い関係は僕には必要ないんです。(会費が払えなくなったり、欠席数で脱退させられるような浅い関係は僕には要らない。)

そんなことをしなくても、先ほども言ったように「1人1人のお客さんを家族のように大切にする」ということを続けていけば、(何の後ろ盾もなかった状態であっても)僕のように「紹介が100%で仕事をいただくことが出来る状態」になれるんです。

ただ、この先どうなるかは分からないですが、今の僕としては、これまでもそう信じて来たように、自分の信念を信じて貫いていきたいと改めて思いました。

それと同時に、今僕のことを信頼してれて繋がってくださっている全てのクライアントさんに、改めて感謝の想いが込み上げて来ました。(いつもありがとうございます。)

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer