僕がブログの締めに「一緒に頑張りましょう」と「また明日」を書く本当の理由。
本ブログではアフィリエイト広告を利用している可能性があります。
2670 1450

僕がブログの締めに「一緒に頑張りましょう」と「また明日」を書く本当の理由。

2023.03.02
2023.03.02

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)

さっさと死にたいと真顔で言った時に、世間は「それはちょっと病的じゃないか…」と批判することが当たり前とされていると思います。

僕は別に今病んでいるからということではなく、もうそれは19歳の頃から継続している事実で、それを発することに何のネガティブも感じないんです。

ということで今回は、僕がブログの締めに「一緒に頑張りましょう」と「また明日」を書く本当の理由、についてお話ししたいと思います。

スポンサードサーチ
スポンサードサーチ

生きなければいけないという理由が分からない。

皆さんに1つお聞きしたいことがあるんですが、それは「自分が生きる意味とは何ですか?」ということに対して、具体的且つ納得出来る理由を答えて欲しいなと思うんですね。

これに対して明確な答えを持っている人ってほぼいないと思っていて、多くの人は「両親が悲しむから〜」とか「〇〇が大切に思っているから〜」といったような答えしか出て来ないと思います。

だからといって、(どれだけしんどい思いをしながらでも)生きていればその意見を言う人が何か自分に与え続けてくれるのかと言えばほとんどの場合はそんな責任を持ってもらえることはありません。

そんな中でも寄り添ってくれる人は時にはいますが、善者ぶった無責任を当たり前のように振りかざしてくる偽善者を僕は沢山見て来ました。(家族も含めてね)

自殺志願者に対して周囲が生きろという無責任。

僕は常々「死にたい」と周囲の人間に言いますが、これは本心です。

だから僕は、同じように「死にたい」と言った人に対して「頑張って生きようぜ」とかいう無責任なセリフを投げかけることは出来ません。

前向きであることが健康だということが当たり前となってるのであれば、僕はそれは「卵は1日1個まで」という、今になって覆った謎の迷信だと思っているわけです。(卵は1日に何個食べても大丈夫です)

自殺志願者に対して周囲が生きろということは自由ですが、そこから先(言うだけ言って)面倒を見ないという無責任を僕は嫌いで、一度首を突っ込んだことなら最後まで責任を取れと思うんですね。

死にたいという願望はいつ死んでも良いという精一杯。

こんなことばかり言ってると「こいつはいつか自殺することを計画してるんだ」と思われると思うんですが、安心して欲しいのが「死にたくても死ねないから辛い」ということなんですね。

よく僕は、人生にリセットボタンがあったら速攻で押してるというくらい「この先こういう風に生きたい」という願望がほとんどない訳なんです。

そんな感覚で生きてる中で後悔なんてある訳もなく、むしろ日々必死に生きている僕だからこそ「いつ死んでも良い」と思っているというのが正確な気持ちだと思います。

「死にたい」ではなく「いつ死んでもいい」という感覚の中にあるのは、少しでも長く生きていたいという執着がないということで、人生を悲観しているということだけでは決してないということです。

迷惑をかけずに死ぬことに対して残すべき代償とは。

そんな僕も少し自分に余裕が持てる様になり、自分が掲げて来た目標や目的を達成することが出来て来た状況に立てる様になりました。

スタートがバカのように低かったこともあり、一般的な人たちと同じようなステージに立てる様になったことは、僕にとって贅沢と言っても過言ではないんですよね。

僕は常にハングリーさの中で生きるべき人間であって、それが薄れているということは環境を変える時だと思っている訳なんですね。

そんな中でも自分自身「迷惑をかけずに死ぬことに対して残すべき代償」を考える様になり、それが達成出来ないうちは必死に生きてやろうと思っています。

残された人間が不自由なく生きていけるだけの保険や、僕がいなくなってもクライアントさんが立ち続けていけるような作品を生み出す仕組みを作って初めて僕の無責任が消えるんだと思います。

そんな環境から逃げたくなる自分を殺すために、「一緒に頑張りましょう」と「また明日」を毎日書くことで、僕は「寄り添うことを明日に繋げる」という意味を込めています。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer