僕が子供達に学校の勉強なんてしなくて良いと伝えた本当の理由。
本ブログではアフィリエイト広告を利用している可能性があります。
2891 1671

僕が子供達に学校の勉強なんてしなくて良いと伝えた本当の理由。

2023.07.13
2023.07.13

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)

ここ最近、僕のプライベートスペースには中学生や小学生が(ある種学童保育のように)遊びにやって来ることが多々あります。

僕はそこで飲み物やお菓子を出して、宿題をしたりゲームをしたりする子供達とコミュニケーションを取ったりしながら新しい発見をもらってます。

ということで今回は、僕が子供達に学校の勉強なんてしなくて良いと伝えた本当の理由、についてお話ししたいと思います。

スポンサードサーチ
スポンサードサーチ

学校の勉強なんて意味がないからしなくていい。

そんな子供達と話している時に感じるのは「勉強がだるい」とか「学校休みたい」という気持ちばかりで、友達とこうやって集まっている時は楽しいけど学校自体は嫌いな子ばかりだったんですよね。

そんな中で僕は「学校の勉強は大人になって使うものなんてないから無理にしなくていいよ」ってことを伝えました。

その子供達にはそこまで学力の高い子はいなかったりするんですが、宿題をいわば流れ作業のように消化している姿を見て、その行動の理屈を知らない上での「無意味」を感じたんですね。

実際に僕が小・中学校で教えてもらった勉強の中で、今も大人になってから使っているものなんて足し算とかくらいだし、子供達から「これは大人になっても使ってる?」みたいに聞かれた時には素直に答えるようにしています。

学校の先生はあくまで学校の先生である。

よく子供達から「先生が言ったから…」という前置きのような言葉を聞くんですが、僕の中で学校の先生はあくまで学校の先生で、位置付けとしては「先生の世界しか知らない人」だと思っています。

教員になろうと思えば、流れ的には大学で教員免許を取って、そのままの流れで採用試験にチャレンジして、それが採用となればそこからはずっと学校の先生という感じなんですよね。

その人生の中で、僕のように営業を経験したり、水商売を経験したり、フリーランスを経験したりという経験は絶対にないし、そんな人がいう「社会」のどこに信憑性があるのかは分かりません。

先生という存在が嫌いでも、敵を作りたいという訳ではなく、子供達に「社会」を語るのであれば伝えるメッセージの1つ1つに責任を持たないといけないということを強く思うんです。

学校の先生しか可能性を知らない人間に否定される未来ほど悔しいものはないし、それが正しく、当たり前だと思っている子供達が可哀想だなって思うことも多々あるんですね。

自分のやりたいこと(夢)を否定される根拠なんてないし、僕はそれを貫いたから(貫けたから)今胸を張れる場所にいるんだと思っています。

頭の良い学校に進学する意味を僕なりに考える。

ここまで「勉強なんてしなくていい」とか「学校の先生が社会を語る時は気をつけろ」と偉そうに言って、学校からすれば反逆者のような立場にいるように見える僕ですが、ちゃんとその言葉の意味を噛み砕いて伝えています。

その中で、学校の勉強は意味がないからしなくても良いということを前置きした上で、ただ「学力が高い人間の方が色んな部分で可能性が上がる」という話をしました。

大は小を兼ねるという言葉はここには当てはまると思っていて、頭の良い学校に行けるということは、それ以下の学力の高校に行ける「選択肢」が増えるということで、その選択肢が増えることで「可能性が上がる」ということを伝えたんですね。

で、こんな質問をしました。

Q1『今手元に1万円持ってる人が「車」を買える可能性はどれくらい?』

Q2『次に手元に100万円を持っている人が「車」を買える可能性はどれくらい?』

Q3『じゃあ次に手元に100万円を持っている人が「自分の好きな車」を買える可能性はどれくらい?』

Q4『じゃあ最後に手元に1000万円持っている人が「自分の好きな車」を買える可能性はどれくらい?』

Q4の問題の時に初めて自分の思い通りの車を買えるということを判断した子供達に、それが学校の勉強も同じであることを伝えたら何となく納得してくれたような感じでした。

可能性をあげるための行動に導いてあげるのが大人の役目。

で、今回は車とお金を例えにした例えだったんですけど、これが「知識(経験)」にも同じことが言えるということを知っておいてほしかったんですね。

それを踏まえた上で、学校の勉強というものを僕はそこまで重要じゃないと思うけれど、「勉強が出来ないことによって小さくなる可能性が確実にある」ということをメッセージの本質であることを伝えました。

だからこそ、他の皆んなが『学校の勉強』で可能性を上げている中、もし勉強をしないのであれば『学校の勉強以外の何か』で、同じ時間を使ってその可能性を上げる必要があるんです。

そんな時に「ダルいから」とか「めんどくさいから」という理由でただサボって、何も考えずに無意味に遊んで、何の収穫もない日々を過ごして、前に進まない(成長してない)というのが本当のゴミ人間だと言いました。

そこで僕が最後に伝えたことは「何事にも全力で取り組む」ということで、その『全力』が人生の全てにおいて必ず活きてくるし、遊ぶなら遊ぶでその遊びを全力で取り組んでほしいということを伝えたんです。

誰かに何かを教えてもらった訳でもなく、学校に通うこともなく、全て独学で突き進んで来たからこそ伝えたかった『全力という名の財産』が僕の宝物なんです。

僕のプライベートスペースに来る子供達はみんな、本気で勉強して、本気でゲームして、本気で礼儀を頑張って、といった感じで彼らの人生に『本気』を芽生えさせることが出来ました。(子供を本気にさせる方法はまた今度書きますね)

ダルくてつまんないかもしれないけど、1つ1つの行動の意味を噛み砕いて伝えることで、納得してこのまま本気で進んでいってほしいな。

それが大人になった時の君たちの財産に必ず変わるから。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer