その「覚悟」や「想い」は行動として現れる。
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おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)
昔から僕は、そこそこな正念場的な時期をくぐり抜けてきた時に「捨てること」をたくさん強いられて来ました。その先を切り開くには捨てなきゃいけないものがあったんです。
ただ一方で「逃げる」という選択肢もあって、僕はこれまでの人生の中で逃げることを選択したことはたったの1度もありませんでした。
ということで今回は、その「覚悟」や「想い」は行動として現れる、というお話をしたいと思います。
僕が「覚悟」や「想い」を体現して来たと思うこと。
急な県外の転校で弟が不登校(引きこもり)になり、それをなんとかすべく母の実家から、弟を連れて裸足で走って逃げた日。親父の顔面を震えながら殴った日。想いを伝えたくて大雨の中で家族に土下座した日。
今思えば僕は、想いが強過ぎるのか、責任感が強過ぎるのか、シンプルにただの変人なのか、「覚悟」や「想い」を周りの人間よりもストレートに体現して生きて来ています。
そういう生き方をしてたら、定期的にしんどくなって病むことがあって、「もっと楽に生きろよ」ってアドバイスをもらうんですが、ここに関しては一向に治る気配がないんです。
要は「タバコのポイ捨て」はいつまで経っても悪いことには変わりないのに、それを注意するなと言われても無理だという話です。
手に入れたいものは何としてでも手に入れる。
先日の発信でも言いましたが、僕は「自己犠牲」を持ってして、クライアントさんの明るい未来を掴み取れるのであればいくら時間がかかったとしてもそれを惜しむことはありません。
自分が手に入れたいものは、何としてでも手に入れようと思うからです。
例えそこで自分が犠牲になるとしても、それ以上の見返りを見出せると思ったからこそ、僕はそこで献身的になれるし、例え惨めであったとしても行動に移せるんですね。
たった1度きりの人生だし、だからこそ僕は、無謀でもデザイナーを目指して、不安定でもデザイナーを続けて、「覚悟」や「想い」を体現して生きているんです。ある意味刺激ジャンキーみたいなもんなんですかね。
僕が「覚悟」を相手に求めてしまう理由。
やっぱり人間なんで、どうしても「均衡」を求めてしまう訳であって、そういう「覚悟」や「想い」なんかにギャップがあると、きっといつか破綻してしまうと思うんですね。
ただ、ずっと同じレベルで向上していける訳じゃないと思ってます。出来る出来ない、得意不得意とかは全然良いんですけど、その想いの強さのベクトルが同じじゃないとやっぱりどうしても違和感って生まれるんでね。
そういう意味で、一緒にお仕事をしてくださっているクライアントさんは、僕にとって家族のような存在であるし、僕もそういう風に接してくださっていることを感じているので、お互いをリスペクトし合った良い関係を築けているんだと思います。
だからこそ僕は自己犠牲を苦としないし、例え犠牲になるとしても、それはいずれ自分の財産になると思って素直に行動することが出来るんですね。
その「覚悟」や「想い」は行動として現れる。
で、どうしてもその「覚悟」や「想い」っていうのは行動として現れるんだと思います。分かるんですよね見てたら。
消極的で弱気になってるとかではなくて、そこに信念があれば、その瞬間だけでも自分を推し殺せるだけのメンタルって発揮できると思うんですよ。
裸足で逃げた日、親父を殴った日、大雨の中土下座した日。その時、その瞬間には自分のメンタルを凌駕した感情があって、自分で考えて行動したというよりは、体が勝手に動いてたんです。で、僕はそれが「覚悟」や「想い」だと思うんですね。
そういう瞬間が見れなかった時、掴みたくてたまらないのに、どこかで自分を守ろうと「保守的」に主張した時、やっぱりそれは「覚悟」や「想い」が足りなかった時なんだと思います。
僕は常に100%で生きていたからこそ、逃げずに、そして負けずに自分を貫いていて、そんな中で「肩すかし」のような寂しい経験をいっぱいして来ました。(ホントに悔しい)
でも、僕が真っ直ぐ信念を曲げなかったからこそ、今明るい未来を見ることが出来ているとも思えるので、自分を信じて突き進んでいきたいと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。