お金に興味のない僕が、唯一お金に執着する瞬間。
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お金に興味のない僕が、唯一お金に執着する瞬間。

2022.02.14
2022.02.14

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)

僕の身内の中にも、「お金」と「人間関係」に(言い方悪いですが)クソみたいな感覚を持ってる人間がいて、ホントにそういう瞬間を見た時に反吐が出そうになります。

ええ格好しいとかではなく、僕自身ホントに「恩」とか「情」とかを基準に生きている中で、それに背く人間を見た時にすごく悲しくなるんですよね。

ということで今回は、お金に興味のない僕が、唯一お金に執着する瞬間、についてお話したいと思います。

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お金って稼げる人は稼げるし、稼げない人は稼げないもの。

まず大前提として言いたいのは、僕は決して「お金を稼げる人が偉い」とは思っていません。

例えば、学校の教師になって子供達に希望を与えたいと思って人生を懸けている人達は「国家公務員」であって、国家公務員の人は給料が限られているわけですね。(年功序列でほとんど決まっているようなもの)

それに比べて事業を展開している人間は、やればやるだけお金を稼ぐ可能性がある訳で(その分リスクもありますが)、そこと比べてしまっては本末転倒なんですね。

要するに、人それぞれの基準によりますが、お金って稼げる人は稼げるし、稼げない人は稼げないものだと僕は思っていますし、稼げないことが悪いことでもなく、それはそれで、そこに幸せを見出せているのであればそれぞれ万歳なんだと思います。

お金を稼げない人間にも、その人にしか出来ないことはある。

ただ、人間性という部分だけはどちらも共通のことだと思っていて、お金を無限に稼げる人だろうが、お金の稼ぎに上限がある人だろうが、それぞれお金以外の部分で最低限出来ることは同じだと思うんですね。

要するに、僕は月収100万円ですというAさんと、僕は月収10万円でというBさんがいた時に、誰かにプレゼントを渡す時の金額が同じである必要はない訳ですね。そこで大切になってくるのは「気持ち」なんです。

Aさんはお金に余裕がある上で多少高価なプレゼントを渡せるかもしれませんし、それを受け取った人も嬉しいかもしれないです。ただ一方で、Bさんはお金に余裕がなくプレゼントを用意出来なかったので、手紙を書いてメッセージを伝えたとしたら、それはそれですごく心に響くプレゼントになると思うんですね。

そういう風に考えた時に、お金って一部ですごく浅いものだと僕は思うんです。

不義理な人間に僕が言いたいこと。

で、僕は何より大切にしていることは、冒頭でもお話しした通り「恩」とか「情」で、ここの部分さえしっかりと相手に伝わっていれば、お金なんて正直必要ないんですよ。

Aさんはお金を稼げるけど、日々の生活で抱えるストレスや問題を満たしてくれるのがBさんだとしたら、Aさんは利害関係なくBさんと付き合っていくだろうし、一緒にご飯を食べに行ったとしても、なんの躊躇もなく割り勘なんかせずAさんがお会計を済ませると思います。

僕はね、そういう気持ちを大切にしたい訳ですね。

僕の身内にも不義理な人間はいます。散々お世話になった人間を自分の都合だけで簡単に切れる人間や、遠くからわざわざ通ってくれていた常連客を自分の都合で軽率な扱いをする人間。

そんな人間が得をする未来を僕は絶対に許せないし、何がなんでも僕の視野の中にいる場合は潰しに行きたいと思っています。(それは裏切られた僕の大切な人を守るための行動でもあります)

経済的に貧乏でも、心だけは貧乏になるな。

このように、僕が人として許せないことの中には「人を大切にしない人」「お金(物)を大切にしない人」があるんですね。

冷静に考えて、自分のことしか考えてない人間が得をするのは腹立たしいし、それによって誰かが迷惑を被っているなら、僕はその人を守るためにそこと全力で戦います。

多くの人は、ここで「まぁいいか…」と泣き寝入りすることもあると思うんですが、僕はそれは「犯罪にはならなかった罪」だと思っているし、同じような気持ちを相手に与えないと気が済まないんですね。(といってもこれでも丸くなった方ですが)

報復行為ではないですが、やっぱり僕は努力をしている人間が笑える未来が来るべきだと思うし、そういう人たちを泣き寝入りさせず、守れるような存在でありたいと思います。

そこで僕が傷付いたり、何かを失ったりすることに怖さはありません。不義理な人間にはそれ相応の償いがあって当然だと思うので、そういう意味で僕は僕の正義を貫いてブレずに進んで行きたいと思います。

唯一救いで、感慨深いことは、僕の信念を貫き通してきたお仕事の中で出会ったクライアントさんの中には、そういった不安がある人がたったの1人もいないということです。こういう大切な存在と共に歩み、守っていければと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer