故郷の思い出巡りで感じた自分自身への愛とそれを未来に繋げる使命。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)
ここ数ヶ月、僕は自分自身が過去にタイムスリップしているのかと思うくらい、幼少期からの時間を遡り、それを今の時代に呼び覚ましているような気がします。
以前もお話ししたと思うのですが、また思い出の地を巡り、そこで立ち寄った喫茶店で新しい奇跡に巡りあい、そこで自分自身の使命を感じました。
ということで今回は、故郷の思い出巡りで感じた自分自身への愛とそれを未来に繋げる使命、についてお話したいと思います。
僕の生きる理由。
家族と話ししていても、友人と話ししていても、みんなそれぞれの「したいこと」を持っていて、自分自身にとってそれは何なのかを考えた時に、いつも答えが出なくて困ってしまう人生を歩んでいます。
「美味しいもの食べたい?」とか「おしゃれな服を着たい?」とか言われても一切ピンと来なくて、いつも僕が応えても理解されないのが「人のために生きる」ということなんですね。
これは何度も言ってることなんですが、僕と同じような感覚で生きている人って正直どれくらいいるんだろうかってことを、いつも探していたりするんですがなかなか出会えなかったりします。
きっとそれが「僕の生きる理由」で、自分がどれだけ財を成しても、どれだけ名誉を手に入れても自ら命を絶ってしまうような人達に、何となく自分を照らし合わせたりすることがあります。(僕は名誉も財もないですけどね)
思い出を紡ぎに行った喫茶店。
少し前に僕は、30年ぶりに何の気なしに保育園に通っているくらいの年齢の時に家族と通っていた喫茶店に友達と一緒にフラッと立ち寄りました。
その時に、僕の家族の僕の知らない思い出話を数時間に渡ってマスターが話してくれた後に、ドラマでも見ているのかと錯覚するかのような「お代入らないよ」と、伝票をくしゃくしゃにする映像を目の当たりにしました。
そんな中、今回も友人を連れて、家族との思い出でもある別の喫茶店に入った時に、その喫茶店は数年ぶりに行ったんですが、僕のこと入店のタイミングでは気付かず少しよそよそしい感じの対応でした。(いつもはこんな感じじゃなかったのにね)
そんな感じで、食事を終えてコーヒーを置いてくださったタイミングくらいで、「あ、浩太です。ご無沙汰してます。」と挨拶をすると、マスターはまた顔色を変えて嬉しそうに話し始めてくださいました。
僕が家族を愛していた人から愛されていたという事実。
僕の家族は色々とあり、今は1つにはなっていなくて、むしろマイナスの方が多いような感覚でいたりもするんですが、そんな今は無き僕の家族という形が沢山の人に愛されていたんだという回想を感じさせてくれます。
色々な事があって家族は疎遠になってしまった中で、突然離れることになった相手側の立場からの意見を僕がなぜか紡ぎに行くという立場ではあるんですが、皆さん揃って「会いたい」という気持ちだったんですよね。
僕は家族の過去を知らないし、僕はそんな役割を担う必要もないのかもしれないけど、僕が生きている意味は「誰かを笑顔にしたい」ということだけである訳で、そんな人の希望を叶えたいというのは必然でした。
そんな中僕はすぐに自分の家族に連絡を入れて「年内にこの人達に会いに来てください」というメッセージを送り、僕のメンツを持って必ずにそれを約束することを告げました。
自分自身への愛とそれを未来に繋げる使命。
僕の家族が愛されていたことは、今の僕が愛されているということで、今回行った喫茶店のマスターもまた「お代はいらないよ」と、お金を受け取ってくれることをしてはくれませんでした。
この思い出の地で、僕は別に有名人でも何でもない存在であるにも関わらず、前回行ったお店を含めて2件連続で立ち寄ったお店で、お金を支払わせてもらえないという奇跡に、一緒に来てくれていた友人も驚きを隠せなかった様子でした。
僕は自分の生きる意味を、普段からこんな些細な部分に探している中で、僕が少しでもこの世界に存在する意味のようなものを周囲の人達から感じて、誰かの希望になることを託されているんだと思うんですね。
僕の仕事だって「クリエイティブ」という言葉1つで片付けてしまえばそれまでですが、それは確実に誰かの未来を変えることであって、古い言葉で言えば錬金術のようなものなのかもしれません。
だからこそ僕は、今回の一連の流れの中で改めて「僕の生きる意味」を気付かさせてもらえたような気がします。
僕はもう少し、誰かのための架け橋になれるように命を燃やそうと思います。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。