相手の努力の辛さを想像することの大切さ。
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相手の努力の辛さを想像することの大切さ。

2021.10.02
2021.09.03

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

僕は4年以上前からずっと、「インスタントラーメン」「スナック菓子」「ジャンクフード」といった部類のものを食べないように努力して生きて来ました。

というのも、ご存知の方が多いと思いますが、約4年前にやった「禁煙」が原因ではじまった暴飲暴食が原因で太ってしまい、そこから「ダイエット」を始めたからなんですね。

ということで今回は、相手の努力の辛さを想像することの大切さ、についてお話ししたいと思います。

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手を差し伸べるのはバカでも出来る。

まず、僕がこういった節制する努力をして生きているのには理由があって、それは「フリーランスとしての見栄え」という部分がなんですね。

僕はデザイナーではあるんですが、フリーランスは共通で「人を売る」という部分が少なからずあると思っていて、例えば「太ってお腹が出ている人」と「鍛えて引き締まった身体の人」とでは相手に与える印象が明らかに違っているんですね。

そのために僕は、4年前に始めたダイエットが終わった後も継続して毎日ランニングや食事制限を続けていたりする訳です。

そういう意味を込めて、僕は仕事のために自分を追い込んで節制しているにも関わらず、たまに優しさを履き違えて「たまには節制やめたら?」と、誰もが食べたくなるようなカロリーの高そうな食事をわざわざ目の前に出してきたりする人がいるんですよ。

僕はそんな時に、『優しさと甘さは違うんだよなぁ…』って凄く腹が立つし、やっぱり人の努力に水を差す行為ってホント無責任だと思うんですね。

貧乏や自分に厳しく生きることからの方が得るものが多い。

僕はこれまでの人生で、子供を作って、子供を育てるためにお金を稼いでとか、世間一般で一番大変だと言われている「親の大変さ」のような苦労を、まだ経験していません。

でも、自分なりに、誰でも経験出来る訳じゃないような貧乏も経験したし、家族のために自分の人生を捨ててお金も貰わずに数年間働き続けたり、独学でフリーランスになるという不明確で孤独な時間も乗り越えて来ました

一応、そこらの人達よりは苦労を経験して来た自負があるし、その努力の強度は正直に負ける気はしません。

そんな中で見出した答えが、「甘えた温い自分」よりも、「自分に厳しくストイックに努力し続ける自分」の方が得るものが多かったという結論だったんですね

正直、体型維持にしてもそう、お金にしてもそう、食べたいものを食べれたり、欲しいものを何でも買えることの方が「幸福感」はあるのかもしれないんですが、結局そういう部分から自分自身が得られるものってほとんどないんですよね。

苦労や努力をしてないと、成長って終わってしまうし、わざわざしんどい思いをしているのにも関わらず、それを薄めるような甘えなんて僕には必要ないんですね。他人から干渉されるとなると尚更です。

努力を知らない人に、努力を想像することは出来ない。

考えてみたんですけど、人がやっている努力に対して空気を読まずに水を差せる人って「努力を知らない人」だと思うんです。もしくは努力の強度的に、過去に同じようなことをしたことがない人ですね。

例えば、食事制限をしていて大好きなものを食べられない瞬間とか、お腹が空き過ぎて辛い時に水しか飲めない辛さとか、それでも毎日トレーニングやランニングをしないといけない過酷さとか、やったことがある人にしか分からないんです。

こう見えて僕、毎日バーピージャンプと腹筋とランニングをやっていて、バーピージャンプと腹筋が終わる頃には汗が滝のように流れて、しばらく立ち上がれなくなるくらいになるまでやっていたりします。

そう考えた時に、その努力を知らない人に、その努力を想像することは出来ないんだなって思いました

努力を想像して背中を押せる人になるために。

で、僕は決して「努力をしない人」がダメだと言っている訳じゃなく、努力を知らない人が努力している人に水を差すことが許せないんですね。

僕は少なからず努力をしている人間としての意見として「優しさ」と「甘やかし」は全然違うと思っていて、努力をしている人に対して「手を差し伸べる」という行動はバカでも出来ると思っています。

1番大切なことは努力を支えることで、ダイエットをしている人の前に『たまにはこれ食べなー』ってケーキを持っていくのは、優しさでも何でもなくてただの無責任なんです。これを手を差し伸べる優しさだと思っている勘違いおバカさんがホントに多いんですね。

努力の辛さを軽減した上で、そこからまた『頑張ろう!』って思えるようなサポートをすることが大切であって、それを実現する方法を僕は「寄り添うこと」だと思っています。

そのためには少なからず、「自分が経験してみる」ということで、その努力を想像出来る人になる必要があると思います。

僕は毎日ランニングをして1600日くらいになりますが、もし僕が逆の立場だったとしたら、雨の日に『今日は雨だしランニングやめたら?風邪ひくよ?』なんて絶対に言えません。僕ならきっと『雨だし、やる気起きないだろうから一緒に走ろうか!』って言うと思います。

相手の努力を想像して、それを支える行動ってすごく複雑で難しいことだと思うんですが、ホントの思いやりって何かを一度考えてみてください。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer