人の悩みのほとんどは自分自身の願望を叶えるためであるという無常。
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人の悩みのほとんどは自分自身の願望を叶えるためであるという無常。

2022.10.28
2022.10.28

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)

ここ最近、10月に立て続けに起きた事件をキッカケに僕は新たな悟りを開いたような気がしています。

どう表現するのかは難しいのですが、心が据わるような、悲しいけど落ち着いたような不思議な状況の中で、物事をより客観視出来るようになった感覚です。

ということで今回は、人の悩みのほとんどは自分自身の願望を叶えるためであるという無常、というお話をしたいと思います。

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人の愚痴や悩みを聞いた時に感じる無常。

僕が孤独に耐えらえれなくなった時には、誰かに電話をしたりする時があるんですが、何気ない会話の中で愚痴や悩みを聞かされることがあります。

「自分だってこんなことがあるよ…」みたいな話を例えに僕を諭してくれようとするんですが、なんだかちょっと僕の悩みとはベクトルが違うなって思う時が多々あるんですよね。

そこで「あんたらには俺の気持ちは分からない」と言っても角が立つだけなので、僕は自分の悩みとの違いを友人なんかには説明するようにしていたりします。

要するに「自分願望に対する悩み」なのか「自分以外の誰かに巻き込まれた悩み」なのかの違いみたいな感覚です。

自分の欲求を満たそうとしたがために生まれる悩み。

例えばなんですが、自分が「結婚したい」と思って誰かと付き合って誰かと結婚してってことで生まれる悩みって、僕からすれば「あなたが望んだが故の悩み」だと思ってカテゴライズしています。

一方で、僕の悩みは「環境によって生まれた悩み」が悩みの大半を占めていて、例えばお仕事で「デザイナーになりたい!」と自分が望んだ先にあるもので悩んだことは1度もありません。

そんな感覚で僕は普段から生きているからこそ、自分が望んで選んだ道の先で起こった悩みなんで正直自業自得で、僕が思い詰めるような悩みはそういうことではないんです。

そういう部分で僕は周囲の人が抱える悩みとは少しベクトルが違うという風に感じていて、自分の決断や決心だけで動かせないものが多いからこそ、どうしようも出来ないまま抱え込んでしまうんですよね。

吊し上げられ耐えるだけの人生。

自分で決めた道を歩んだ先に生まれるのが悩みだとしたら、僕も周囲の人と同じような「自分願望に対する悩み」なのかもしれません。

ただ、「誰かを守りたい」とか「誰かを笑顔にしたい」とかそんな悩みと「車が欲しい」とか「ブランドの服が欲しい」みたいな願望は同じじゃないとどうしても思ってしまうんですよね。

加えて、僕が耐えていることを求めている人間もいて、そういう「待ち」の様な我慢も僕はたくさん経験してきたこともあって、吊し上げられ耐えるだけの人生が僕だと感じてもいます。

それが報われるのか報われないのかは分からないのですが、ただ僕の願望として「巻き込まれたから」「首を突っ込んだから」には最後までやり遂げたいという思いが強い訳ですね。

僕の生き甲斐である人生とは。

僕の人生をうまく比喩しようとすると難しいのですが、誰かがスポットライトを浴びてステージに立っているとします。

で、そのスポットライトを浴びて立っている人を撮影しているスタッフが撮った写真がテレビやネットで紹介されているとします。

僕はそんなスポットライトを浴びて立っている人を撮影している人を撮影しているような人間で、裏方の裏方といった感じが一番具合が良い感じの表現になると思うんですね。

自分の願望はないんですか?とよく聞かれるんですが、僕の願望は目の前の誰かが笑顔でいてくれることだったりするので、やっぱりどうしても自分以外の人が基準になってしまいます。

誰かが求めてくれるから、ということが自分も大切に感じる人であれば幸せだなぁと思いながら、僕はやっぱり常に与える人であり続けながら生きていけたらと思っています。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer