「与える」ということがもたらす影響と悪影響。
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「与える」ということがもたらす影響と悪影響。

2021.09.21
2021.09.21

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

僕は子供の頃から、どちらかと言えば裕福な家庭に育って来た事もあり、両親だけではく、両親の祖父や祖母からも「与えられる」ということが身近で当たり前の環境でした。

『あれが欲しい』と相談すれば、特に理由がなくても『じゃあ買いに行こう』といった感じで、悪気もなく「欲しいものは言えば買ってもらえる」という感覚が子供ながらになったんですね。

ということで今回は、「与える」ということがもたらす影響と悪影響、についてお話ししたいと思います。

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大人と子供とでの「与える」の感覚の違い。

僕は子供の頃に「欲しいものは言えば買ってもらえる」という環境で育って来ましたが、当時に友人なんかの話を聞けば実際はそうではなく、僕が恵まれた環境にあったということでよく羨ましがられていました。

それぞれの家庭のお金の事情や、教育方針とかも分からなかったので、シンプルに『ケチな家族だなぁ』と思いながら生きていた節もあったんですね。

ただ、いざ自分が大人になった時に、この「与える」という感覚が、子供と大人では全然違うことだと感じ、当時に「与えなかった大人(僕の友人の親)」が、なぜ僕の友人に与えることをしなかったのかの意図が分かるようになったんですね。

大人になってから気付いた「与える」の危険性。

大人になって僕が気付いたことは「与える」ということで、その人の人生を変えてしまう可能性があったということで、それだけ「与える」って危険だなと思ったんです。

子供の頃はですね、新しく出たゲームなんかを頼めば買ってくれる環境にあって、やっぱり買ってもらえた方が友達にも自慢出来るし嬉しいし、良いことばかりだと思ってたんですね。

ただ、今になって冷静に考えた時に「与えられることで失っていた選択肢」っていうのがあると感じたんです。

そこで僕が失っていた選択肢というのは「他の遊びを探す想像力」や「欲しい物を手に入れるための行動力」なんかですね。要するに「考えること」を失っていたんです

その反面「新しいものに触れる」といった学びはもちろんあり、それもすごく大切な経験だと感じているんですが、人生を生きていく上では前者の「想像力」や「行動力」なんかの方が確実に役に立って来るなと思ったんですね。

「与える」ということことがもたらす影響。

大人になって欲しいものが出来たという時に、自分の選択肢として『買って欲しいんだけど…』と相談しかしてこなかった人生だと危険で、そこでそれを手に入れるために、いかにして自分で「想像力」や「行動力」が使って多くの可能性を導き出せるかが大切になって来るんです。

僕は幼い頃から「与えられる環境」で生きてきた人生だったんですが、幸せにも僕は昔から「考えること」が大好きな子供でして、与えられる環境の中でも「想像力」や「行動力」を磨くことが出来ていたように感じています。

ゲームを買ってもらったかと言って1日中引きこもってゲームをしているような子供ではなく、色んなものに興味を持って、色んなことにとことんチャレンジするする子供だったので、経験値はすごく多かったと思います。(男なのに当時から料理や編み物も大好きでした)

「想像力」や「行動力」を磨くために。

極論を言えば、何もない環境を作ってしまえさえすれば、例え『遊びたい!』と思っても、まずは何をして遊ぶかを考えないといけない状況になって、そこで「考える機会」が生まれると思っています。

そして、限られたものしかない環境下で今までにない新しい遊びをしようと思えば、自分の手元にあるアイテムを組み合わせて作り出していかないといけないんです。(僕は子供の頃からこの組み合わせをして新しい遊び方を考えるのが好きでした)

ただ、やっぱり人は便利で楽な方に流れてしまういます。そんな中で、色々便利になりコストも掛からなくなって来た上で、すぐに与えてしまいがちではあるんですが、その与えるが「考える機会」の損失になっていないかを改めて考えることは必要だなと思いました。

与えることは悪ではないですが、大前提として「考える機会」をしっかりと作って、考えることがパズルみたいで楽しいって思えるようになれば、きっと明るい未来が待っていると思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer