「ありがた迷惑」が変えてしまう人の未来。
本日の記事のラジオVer.はこちらをクリック | by stand.fm(準備中)
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)
最近ふと思うんですが、自分がする行動によって人を変えてしまっていることってあるんじゃないのかなってことを考えてしまいます。
自分はそのつもりはなくても「自分の行動で相手の未来を変えてしまう」と考えた時に、自分が正しいと思ってしている行動と改めて向き合わないといけません。
ということで今回は、「ありがた迷惑」が変えてしまう人の未来、についてお話をしたいと思います。
バタフライ効果に似た未来の変化。
バタフライ効果という言葉をご存知の方も多いと思います。蝶々が羽ばたいた時に起こった風が竜巻になる可能性があるといった感覚で、その小さな動きが大きな力を生み出す可能性があるよっていう感じの表現です。
こんな風な感覚が、僕ら1つ1つの行動にあるという仮説が今回のお話なんですが、普段からそんな細かいことを気にして生活している人はなかなかいないと思うんですね。
ただ、僕らがやってしまった行動によって、誰かの未来を変えてしまう可能性がある中で、無責任に繋がる行動を防ぐために僕らはこういう部分としっかりと向き合っていかないといけないわけなんです。
大学の時に授業で見たラン・ローラ・ランという映画。
大学の時に受けた授業で最も印象的だったのが、「ラン・ローラ・ラン」という映画を見た時でした。
主人公である「ローラ」という女性が、恋人からの電話で命の危機を告げられ、その恋人を助けに向かうという映画なのですが、これがすごく面白かったんですね。
映画の流れとしては、ローラが取った行動や、そこで巻き起こる他人の行動や自然現象などによって、恋人を助けることが出来ない失敗に終わった場合、ゲームのようにまた1からスタートを繰り返すようなストーリーになっています。
あの時こうしていれば成功していたのに(かもしれない)を繰り返して、ハッピーエンドに向かっていくようなストーリーの斬新さに、当時の僕は惹きつけられました。(是非一度見てみてください)
例えば、まだ火を手で起こしている技術の発達していない先住民族に「ライター」を渡したらどうなるかとか、荷物を滑車に乗せて運んでいる人に「トラック」を渡してみたりとか。
ここまで極端な話はないにせよ、これに近い経験って皆さんにもありませんか?
「甘いものを知らない人」に甘いものを渡すという行動。
例えば自分が「これ美味しいよ」って安易に手渡したチョコレートを友人がすごく気に入ったとします。
そして数ヶ月後に会った時に、あまりにも気に入り過ぎてチョコレートを食べ過ぎ、友人が見違えるほど太ってしまっていたなんてことも考えられると思います。でもその友人は、そのチョコレートを知らなければ太る可能性がなかったかもしれないですよね。
子供に「ゲーム」を教える時もそう、友達に「タバコ」を勧める時もそう、知人に「運動」に誘う時もそう。子供がゲームを覚えることで勉強しなくなったり、友達がタバコによって肺炎になったり、知人が運動中に骨折してしまったり。
そういう風に考えた時に、自分がするたった1つの行動ってすごく怖くないですか?僕は常々こんな風に、自分が行動しなかったら起こらなかった未来があると想像してしまうんですね。
自分の行動によって巻き起こる未来を想像する。
もちろん、その行動によって迎えられる明るい未来もあるので、ダメなことばかりではないのですが、僕が言いたいことは「自分の行動によって巻き起こる未来を想像する」ということが大切なんじゃないかということなんですね。
自分のことならまだしも、子供にゲームを教える時に「勉強をしなくなる未来」を想像すること、友達にタバコを勧めることで「健康を害する未来」を想像することってすごく大切だと思うんです。
優しい人であれば優しい人であるほど、自分が相手にやってあげたいことって沢山あると思うんですが、自分の行動によって巻き起こる未来が、絶対に相手の理想の未来であるという確証はありません。
自分の行動が「ありがた迷惑」にならないように、自分の行動を改めて見つめ直す瞬間があってもいいんじゃないかなと思いました。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。