好きな自分を取り戻してきて感じた「俺は絶対負けない」という強い自信と諦めない気持ち。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)
2023年も5月に入り、GWなんて人生に存在しない僕にとって何か変わったことがあるかと言われたらそうではありませんが、心持ちとして変わってきたことがあります。
それはメンタルが崩壊していた僕に少しずつ戻ってきた心の中にある炎で、今はまだ火種のような輝きですが確実に燃え上がるであろう熱を感じています。
ということで今回は、好きな自分を取り戻してきて感じた「俺は絶対負けない」という強い自信と諦めない気持ち、についてお話ししたいと思います。
Index
クソみたいな人間だと思い込んでいた僕の中にあった誇れる自分。
僕はどうしてもネガティブな人間で、一度でも自分が「良くないな」って思ってしまったら、そこから意味が分からないほどに自分を蔑んであたかも自分はクソみたいな人間だと思い込んでしまうんですよね。
周りに自分を頼ってくださる人が山ほどいるにも関わらず、何故かそんな人達の存在がないかのようにマイナスだけを蓄積させてしまいます。
ただ、少しポジティブな自分が戻って来た時に「自分を信じている人に対して自分をクソだと思うのは失礼だ」というマインドになることが出来るようになりました。
クソみたいな人間だと思い込んでいた僕の中にあった誇れる自分を見つけた時に、弱っていた自分に対して「お前はそんな安い人間じゃないよ」って言ってあげることが出来るような行動が伴って来たんです。
誰かのために邁進していた僕にやってきたスランプ。
僕はいつだって「誰かのために」という気持ちで生きていて、自分のために生きているくらいならとうの昔に自分で命を絶っています。
これは別に病んでいるからとかではなく、ずーっと昔から「みんな自分のために生きて何が楽しいんだろう?」って思っていて、なぜか僕は自分のために生きることが出来ないんですよね。
そんな時に訪れたのが「誰かのために邁進出来ないスランプ」で、僕はそんな生きる目的を見失ってしまった時にどうしようもない喪失感が生まれた気がしたんです。
そういう生き方だからこそ人間不信とかにもなったこともあったんですが、それは特定の対象を自分で決めてしまっていたからで、不特定多数の人間に対してそれが出来てた自分の方が何倍も輝いてた。
スランプを抜けるために必要だったのは圧倒的な献身性だった。
どこのネット情報を見たって「もっと自分を大切にしろ」とか「自分の幸せのために生きろ」とか書いてあるんですが、きっとそれは誰かのために命をかけて生きたことがないんだと思います。
痛みを伴わない命のリセットボタンがあったとしても、その人はそのボタンを押せないんです。
僕はそれは命懸けで守りたい人のためなら何の躊躇いもなく押せるし、それが明日でも今日でも全く関係ありません。
それくらい強い思いを持っている僕にとってこのスランプはかなり心に堪えるものだったんですが、ポジティブな気持ちを取り戻して来た僕はそこから抜け出す方法が「圧倒的な献身性」だということに気付きました。
俺は絶対に負けない。最後は笑って死んでやる。
そこで芽生えた気持ちは「自分の生き様を信じろ」ということで、今自分の周りにいる人、そしてこれまで自分が関わって来てくれた人の僕に対する思いや対応を考えろということでした。
僕ホントに珍しいタイプで、これまで接点があった人と縁が切れることってないんです。
それは自分自身が誇れることであって、一番自分が心の中で大切に信じないといけない部分だと思うんですよね。
ただ、どうしてもネガティブな自分がいる時は信じることが出来ないのがもどかしいし、だけどそれは全ての人に対して「価値のない奴と繋がってるよ」ってことを自分で発信しちゃってるくらい酷いことをしてるんですよね。
僕は本来の自分に戻って来れた時に改めて思ったんです「俺は絶対に負けない」って。
僕の人生はぶら下がられることが多くてすごく辛いものかもしれないけど、沢山の信頼に囲まれて生きていることは紛れもない事実で、そんな人達のために僕は命を燃やします。
最後は笑って死んでやる。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。