自分を保つためだけに生きることへの不満と相手に与えたいからこそ生まれる不満。
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自分を保つためだけに生きることへの不満と相手に与えたいからこそ生まれる不満。

2023.11.23
2023.11.23

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)

先日、格闘技界を賑わした(僕の中ではすごく)大きなニュースの中で、強さと優しさで格闘技界の未来を切り開いて来たカリスマの涙を目にしました。

規模は違えど、僕の中であの時の涙は心に深く突き刺さるものがあって、それは彼が地位や名誉やお金といったもの全てを必要としない無性の愛を持って生きていることを悟ったからでした。

ということで今回は、自分を保つためだけに生きることへの不満と相手に与えたいからこそ生まれる不満、についてお話ししたいと思います。

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格闘技界を賑わしたカリスマの涙。

世間に彼が登場した頃から伝説と呼ばれ、強さをブランディングとし続けて、弱さや情けなどは一切見せなかった彼が世間に涙を晒したことは多くの人の心を動かしたと思います。

彼が切り開いた道の中で、多くの恩恵を受けていた人間達も、彼の話題性にあやかっているにも関わらず彼をこぞって叩くようになり、甘い蜜を吸い取ろうとし続けるテイカーの行動に強い彼もいつの間にか蝕まれていたんでしょう。

そんな中で彼はまだ「誰かを楽しませるのが好きだ」とか「人の人生を良に様に変えるのが好きだ」言い放ち、自分の意思ではなく全ての行動を「客観視」という価値観でコントロールして来て、自分が自分じゃなくなっていたことを想像出来るんです。

それでも心の奥に「絶対にやり返したい」という客観視ではない自分の心があるというマインドを見せ再起を誓い涙した姿は、彼にとってはアリンコ以下の僕にとっても共感ではなく共鳴するほどの強いシナジーを感じました。

自分を保つためだけに生きてる人には分かり得ない世界。

そういう風に考えた時に、僕のここ最近続いている憂鬱は「自分を保つためだけに生きてる人」による愛の感じない搾取によって引き起こされていたんだと思います。

ギバーやテイカーという枠は沢山あると思うんですが、僕はこういう感覚は「近くにいる人によって変わりゆくもの」だと感じることがあって、だからこそ「前はそんな人じゃなかったのに」と思うようになったんですね。

要するに「ギバーがテイカーに変わるのは圧倒的なギバーを目の前にした時」だと僕は感じていて、素晴らしい思考の元に共感したその人が、僕が与え続けようとしているのを良いことに、テイカーに成り下がるというのが現実なんです。

そういう人間に限って、日常からその感謝を行動に伝えるのではなく、その人が傷付いたり倒れてしまった時に限って「あの時もっとこうしてれば…」と後悔したり、すがるものがなくなる恐怖にその人を立て直そうと焦って行動したりするんですよね。

相手に与えたいからこそ生まれる不満。

彼の言葉にもあった「誰かを楽しませるのが好きだ」「人の人生を良に様に変えるのが好きだ」という言葉はまさにこれまでの彼の人生を形容していると思うんですが、彼は過去に非行を繰り返し、多くの大切な人に迷惑をかけたことへの懺悔として、強く正しく優しく生きることの悟りを開いたんだと思います。

そこからの彼は「低迷していた格闘技界を変える」という使命の元、自分がお世話になった格闘技というカテゴリーをベースに、多くの格闘家がアルバイトをしながらでしか食っていけない世界を、少しずつ変えていったと僕は思っています。

今ではほとんどの格闘家が自分のメディアを立ち上げ、少なからず収益を得たり、認知を高めたりしながら生きていると思うんですが、それは紛れもなく先を走り道を切り開いていった彼という存在があったからこそなんです。

僕はYouTubeオタクですから、こういった色んなジャンルの切り開き方をして来た人間を沢山見て来ましたが、彼は格闘技を使って「誰かに何かを与えたい」という使命感を持って、色んなアンチやヘイトに耐えながら、時には不満を感じながら戦い続けているんだと感じました。

与えることを諦めそうになっていたからこそ湧いてきた勇気。

人って良い意味でも悪い意味でも変われなくて、心の奥の奥、根本にある部分ってどう頑張っても変われないと思うし、そういう意味で彼は過去に「喧嘩をしたくて(人を傷付けたくて)傷付けていた訳じゃない」と僕は思うんですね。

「誰かのために生きたい」と思って生きている僕だからこそ、誰かを楽しませるのが好きだとか人の人生を良に様に変えるのが好きだというメッセージはまさに僕そのものだと思ったし、規模は違えど同じ悩みを感じていたからこそ心打たれたんですよね。

強い人が弱さや涙を見せる姿に、僕は消えかけていた勇気を感じたし、それと同時にギバーからテイカーになる下がるテイカー達を沢山照らし出せた様な気がします。

本当に助けたいのは誰なのか、寄り添いたいのは誰なのか、少し寂しさを感じるんですが色んなことを断捨離しないといけないと感じたんですよね。

ただ、それによって救われない人が減るのではなく、ぶら下がる人を減らすということにつながって、それによって空いた時間はより深く寄り添える人が増える様な感覚になると思えたし、僕は本当に大切なものを見つけることが出来たんだと思います。

そういう風なマインドに変えていった時に、色んなことの優先順が変わって来たり、進むべき道を見つけられたからこそ生活を見直せたり出来た部分があったので、僕の人生の第二章が始まった様な気がします。

僕はまたここから大切な人と共に高く飛躍します。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer