過去の栄光から見る影も無くなった親父と僕の違いは「自分が輝き続けたいか」という思考の有無。
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し9年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,570日、毎日ブログは1,340日を突破。(2023年12月31日現在)
先日、僕の父親の お父さん(僕からすれば祖父) が亡くなったということで、20年以上関わりを持っていなかった父親の家族と再会することになりました。
再開したきっかけは、父の昔からの友人伝いで聞いた「祖父のお葬式」の日程の連絡で、これだけ時間が空いているにもかかわらず、僕たち家族が参加してもいいのかを戸惑いながら参加することに決めましたが、そこに僕の父親が来ることはありませんでした。
ということで、今回は、過去の栄光から見る影も無くなった親父と僕の違いは「自分が輝き続けたいか」という思考の有無、についてお話ししたいと思います。
自分の友達全員に自慢したかったあの頃の父親。
僕の父親は、僕が小学1年生の時に、奈良県で第1店舗目のコンビニエンスストアの店長になった父親であり、そこでの経営手腕を含めて、ものすごい才能を発揮していた(コンビニ業界のパイオニアのような)親父だったと思います。
そんな中で当時は羽振りも良かったこともあって、僕が入っていたサッカーチームの練習や試合に差し入れとして、おにぎりやスポーツドリンクを持ってきてくれる父親を、子供ながらにすごく誇らしく感じていました。
高校卒業してからは、父親が働いていたコンビニでアルバイトをすることで、ただお金を稼ぐということだけではなく、陳列や発注などを通じてお客さんの心理を考えた経営理論のようなものを知らず知らずのうちに学ばせてもらっていました。
そこで学んだことは、今の自分にとってもすごく重要な学びになっていて、それがあったからこそ今の僕があると言っても過言ではない位に、僕の人生において大きな経験であったことは間違いありません。
父親と言う大きな存在が小さく見えた日。
そんな中、いろいろとあって父親がコンビニから離れることになって、別の環境で(家族のために)父親と2人で働くことになりました。
そしてその少し前から父親の様子が少しずつ変わってきていたことに気づいていたんですが、新しい環境でチャレンジする父親に対して、色々と経験を積んだ僕自身が父親に対して感じることは少しずつ現実化していくことになりました。
要するに、いつからか父親がやろうとしていることが「お客様のため」から「自分の名誉のため」に代わっていたような気がして、その結果父親と僕が新しい環境で売り上げを競った時に、僕の方が結果を残すことが増えてきたんですね。
そういう時間が増えてくる中で、自分の名誉のために戦ってしまっている部分がある父親の中に、僕に対する「妬み」のようなものが生まれてくるのを感じて、(家庭のために働くという)チーム戦でもあるのにもかかわらず、向けられる父親からの冷たい目を感じた時に、父親と言う大きな存在が小さく見えたことがすごく悲しかったです。
父親が目指した「自分が輝き続けたい」と言うステージ。
僕は腐っても父親の子なので、父親のマインド的なものを少なからず遺伝していると思っているんですが、それ以上部、そんな親父を見る中で「反面教師」の部分が強くなってきていることに気づいていました。
昔からこんな父親になりたいと思っていた尊敬の部分もありつつも、こんな父親にはなりたくないと思う部分も出て来てしまって、僕からすれば良いとこ取りができると言う行ってみれば最高の環境にいたのかもしれません。
そして、明らかに父親が崩れ出したのは「自分が輝き続けたい」というステージを目指し続けたということで、そこで父親は自分自身に対して謙虚さを忘れ、人に頭を下げることも出来ず、自分ひとりの力で全てを打開しようとしていたことが人生を苦しくしたと思います。
一方で僕は、自分の力で打開していくぞという(父親譲りの)強い思いはある一方で、「1人では無理」というボーダーラインを父親よりもかなり低く設定出来たことから、僕の方がまだ謙虚さを保ちながら、自分の信じたものを今も貫き続けられるんだと思っています。
謙虚さを忘れたとき人は終わる。
自分が積み重ねてきたものが大きくなれば大きくなるほど、そのプロセスに価値をつけたくなるのは自然なことだと思います。
僕自身も全部自分1人でやってきたと言う少なからずの自負がある中で、時にこのプロセスに対して自分自身が傲慢になってしまうような瞬間があったりもするんですよね。(自分で気付いた時に自分自身に怒って言い聞かせてます)
そういった態度を一切取らないというのがそもそも最強だとは思うんですが、ただ そこは人間なので仕方ない部分もありつつも、そこで次の日にでも「昨日の自分は良くなかった」といった風に謝れることも1つの強さだと思っています。
僕はそれに加えて、基本的に自分自身が輝きたいと言う思いは一切なく、心の底から目の前の人を輝かせたいと思う気持ちに乗っ取って全ての行動を選択していることは間違いありません。
僕がやろうとしている事はどこまで行っても自分のエゴではなく、相手を良くするための思いやりでしかないっていう自負があるので、だからこそ相手のエゴが見えたときに衝突してしまう瞬間があるんですが、この歳になった今、そういった瞬間も出来れば優しくなりたいなと思っています。
自分の父親を反面教師に使うというのは、子供としてはすごく悲しい部分もあるんですが、ただそれでも僕は今の父親のようにならないよう、自分の遺伝子に抗って生きたいと思っています。
子供の頃、友達全員に自慢したかったあの当時の父親の影を思い、当時の親父をいつまでも追いながら、僕はこれからの自分の人生でなるべく多くの人を輝かせられるように努力を続けたいです。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。