自分の生きる意味は誰かのために生きる人の応援であると理解した日。
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自分の生きる意味は誰かのために生きる人の応援であると理解した日。

2023.11.27
2023.11.26

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)

今も決して裕福とは言えませんが、駆け出しでフリーランスデザイナーとなった当時やその前に、ほとんどの人が経験したことの無いような貧乏のな生活の中で「劣等感」を味わいながら生きてきました。

そんな中で、今の僕は安定はないにせよそれなりの生活は送れるようになり、昔ほどギラついたハングリー精神のようなものは薄れてしまっているようにも感じます。

ということで今回は、自分の生きる意味は誰かのために生きる人の応援であると理解した日、というお話をしたいと思います。

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下積みや駆け出しの時に持っていたハングリー精神。

思い返せば約10年以上前、当時の僕には「何もない」という言葉が適切なくらい、夢も希望も何もない状態で生きる意味そのものを探していたような気がします。

そんな中で唯一見つけた「誰かのために生きることが自分の存在意義」という漠然とした人生のテーマを持って、自分のために生きることを捨てて、(雇われじゃなく個人で)誰かの役に立つにはどうしたら良いのかを考え続けて生きて来ました。

今思えば、あれだけ誰かのためになることだけを日々考えて、人を喜ばせるためだけに生きていれば、いつかきっと夢は叶うだろうと思えるのですが、当時は報われない自分に「劣等感」を感じ、それを反骨心としてエネルギーに変えていたんですよね。

要するに、承認欲求を持っていた訳ではないので、そのハングリー精神のようなものは「最低限の経済力」に対して向けられていたもので、それを手にした今の僕の原動力は「誰かの笑顔」ただそれだけの状態になっていることに気付いたんです。

自分のために生きている人の気持ちが1ミリも理解できない。

少し誤解を生んでしまうかと思うので丁寧に説明しますが、僕は「人を蹴落としても上に上がりたい」と思っている人の気持ちが分からないということで、僕の中でそれが「自分のために生きている人」の定義だと思っています。

僕は学生時代、サッカーをやっていた頃は相手を蹴落として戦ってスポットライトを浴びて来た部分ありましたが、大人になり色々な経験をして来た中で、新しい自分に生まれ変わった時にそんな自分とさよならすることになりました。

ゼロ百の僕は、そこから人が変わったかのように「人に尽くす人」となり、自分の欲しいものはなくなり、自分がどうすれば人が喜ぶのだろうかだけを考えて生きるようになり、自分のために生きている人の気持ちが1ミリも理解できないことになったんですね。

そうなって来ると感じるのが「人の浅はかさ」みたいなもので、それは家族に対しても友人に対しても「きっとこの人たちはいつか絶対に裏切る」という感覚で見てしまうようになったんです。

誰かのために生きたいと思っている人を応援したいだけの人生。

自分の人生を言語化しようとして、ここ最近腑に落ちた形が「誰かのために生きたいと思っている人を応援したいだけの人生」ということでした。

要するに、僕のために生きようとしてくれている人に尽くしたい一対一のような支え方も大切だと思うんですが、僕は多くの人のために生きようとしている人の支えになれる人になりたいと思ってるんですよね。

分かりやすい言葉で言えば「ボランティア」だと思うんですが、そこにお金が発生するにしても、多くの人に感謝されるような、勇気になれるような活動をされている人の応援をしたいだけで生きてるんだと思います。

だからこそ僕は「SNSでバズって商品を1発当てて金持ちになりたい」みたいな部分に自分を使われたりすると一気に冷めてしまうんですが、ここ最近の不景気で、それが顕著になることが増えて来て、少し自分のやりたいこととは遠ざかってしまっているような気がしてるのかもしれません。

きっと長くない人生だと思うからこそ伝えたいこと。

僕のような心身に負担がかかりやすいバカのような生き方をしている人間は、きっと短命で終わると思うので、だからこそ今僕が残せることは何かを考えて生きてるんですね。

だって、大きなお金を残したって意味がないし、ここ最近では「何かのために使わないと勿体無い」と、貧乏性過ぎてヤバかった僕が思うようになっています。

そんなことよりも沢山の経験をした方が人としての深みも出ると思うし、これまで押さえ込んで来た欲求をなるべく解放して、決して無駄にならないような形で投資し続けていきたいなって思いました。

「どんな話題でも話せるね!」ってよく言われるんですが、色んなことに興味を持って取り込んで、誰かのために生きる人の応援が常に出来るように尽くしていけたらと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer