生まれ育った環境から影響を受ける人間性とマインドの危険性。
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生まれ育った環境から影響を受ける人間性とマインドの危険性。

2024.02.25
2024.02.25

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し9年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,570日、毎日ブログは1,340日を突破。(2023年12月31日現在)

僕は奈良県と京都府の両親を持つ、いわば奈良と京都のハーフなんですが、どっちつかずのいいとこ取りって感じで性格が形成されていると思っています。

そんな中で「奈良県民は運転が下手くそ」というのが僕の中であって、他の県では受けないストレスを運転中に感じることが日常茶飯事だったりして、環境から影響するマインドってあるんだなって思うんです。

ということで今回は、生まれ育った環境から影響を受ける人間性とマインドの危険性、についてお話ししたいと思います。

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3キロ先のお店に車で行くのも億劫になる理由。

先日、3キロ程のお店に車で向かっていた時の話だったんですが、直進と直進または右折の二車線の信号待ちに引っかかりました。

僕は右車線で、前に一台止まっていた状態で信号を待っていたんですが、なんとなく嫌な予感がしていた中でその嫌な予感が的中しました。

前に止まっていた車が、信号が青になったと同時に、それまで出していなかった右折の指示器(ウインカー)を出し始め、交差点付近で避けて通れない状態に左車線に車線変更をするしかない状況となったんですね。

こういう要領の悪い自己中マイペースのバカが奈良県には本当に多いので、不用意な事故や渋滞が多発していて、たった10キロ先の曲がる回数で言えば(3〜4回)くらいの大通りを経由していく場所に30~40分かかってしまうこともあるくらいです。

奈良県民の運転は良い意味でも悪い意味でも自己中マイペース。

これは僕がいらちだからという理由では決してなく、僕は某配送サービスでドライバーをしていた経験があり、交通ルールは厳守しますし、安全運転を心掛けて普段から「早め早めの行動」で安全を確保して運転してるんですよね。

さっきの「曲がる直前で指示器を出すバカ」は、その人こそが危険運転で、僕が左に車線変更しなければ後ろの車は「なんで進まないんだよ」ってことでクラクションを鳴らされることもありますし、ただただ不毛な渋滞が巻き起こって迷惑がかかっている訳なんです。

高速道路でも、追い越し車線と呼ばれる右側の車線で、平然と左側の車と同じペースで並走して、後ろで追い越しをしたくて詰まっている車のことなんて全く考えていない訳です。

奈良県に来た際には注目しておいて欲しいんですが、そういうバカは総じて全員「助手席のバカと喋るのに夢中か前しか見ていない」という、頭がお花畑で独特の無責任感を醸し出しているので、ちょうど程よくイラつかせてくれると思います。

生まれ育った環境から影響を受ける人間性。

で、僕はこれまでずっと京都で暮らして来たわけなんですが、生活圏は京都・大阪・兵庫くらいを行き来してる中で、まぁ一応西日本の中では都会の部類に入る環境で暮らして(揉まれて)来たと思っています。

ただ、自分の1つの故郷である奈良県に帰って来た時だけは、西日本の中でも異質の雰囲気を感じることがあって、酷い言い方になるかもしれませんが「こんなマインドでは都会では生きていけない」という風に感じるんですよね。

この不景気の中で、いろんなことを改変していかないとマズい状況の中で、まずそれに対して危機感すら持たず、向上心すら(持っているつもりでも)持てていない平和ボケした町で、周りが全員そうだから自分も当たり前なんだという洗脳が生まれているような感覚です。

もちろん、それが奈良県という良さではあると思うんですが、僕の感覚としては「この町の感覚に染まったら(事業者として)腐ってしまう」という危機感があって、環境が人に与える影響の大きさを本当に痛感しています。

自分が今いる場所が当たり前だと思うマインドの危険性。

僕がここまで大好きな故郷である奈良県を否定したくなる本当の気持ちは「奈良が好きだから」なんですよね。

ただ、20歳くらいで奈良県を飛び出して、独学でフリーランスデザイナーになると決めて色んな環境に飛び込んで揉まれて来た中で、いざ久しぶりに帰って来たと思えば「奈良県だけ時代は止まってたのか?」と思わされる感覚にすごく悲さを感じたんですよね。

僕自身がそれだけ成長したという考え方もあるのかもしれないんですが、それでも「隣の県ではもうこんなことが当たり前に起こってるよ?」とか「何で奈良はまだこんな思考なの?」みたいなことで溢れてるんです。

これって、関西という規模だけではなく、世界規模でも同じことが言えることだと思っていて、だからこそ「世界を見る(に触れる)」ということが大切なんですよね。

自分が今いる場所が当たり前だと思うマインドの危険性の中に「周りが見えなくなる(気にしなくなる)」ということがあると僕は思っているし、そんな風になった時に人の成長は終わってしまうんだなと感じました。

田舎には田舎特有の良さがあると思うんですが、成長するためには「環境」がすごく大切で、僕はそういう環境を地域ではなくWEBにおいているからこそ、それなりのスピードで成長出来ると思っています。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer