センスがないという人に伝えたいクリエイターとして必要な学びの概念。
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センスがないという人に伝えたいクリエイターとして必要な学びの概念。

2023.11.05
2023.11.05

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し8年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは2,195日、毎日ブログは975日を突破。(2022年12月31日現在)

皆さんに質問があるんですが、例えばデザインを見る時に「このデザイン良いな!」って思う瞬間ってどういう時だと思いますか?

そしてもう1つ質問を加えますが、そのデザインはいつの時代でも良いと思えますか?ってことを続けた時に、僕はクリエイターとしての学びのヒントがあると思っています。

ということで今回は、センスがないという人に伝えたいクリエイターとして必要な学びの概念、についてお話ししたいと思います。

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僕が駆け出しのクリエイター時代にやっていた学び。

まず最初にお伝えしておくと、僕は現在フリーランスのクリエイターとして(多分)9年目を迎えていて、一切営業はしないままここまで来て「順番待ち」の状態になっています。

そこには僕の「生き様」から生まれる信頼などもあると思うんですが、それでも僕がダサいデザインばかりを生み出すクリエイターであればお仕事の依頼はここまで来ることはありません。

そんな僕ですが、クリエイターを志す10年以上前には「センス」と呼ばれるものは皆無で、且つ当時は今ほどネットでの情報に恵まれていなかったこともあり、毎日の様に外に出ては良いデザインの写真を撮ったり、チラシやショップカードを持ち帰って記録していました。

加えて、海外の方がクリエイティブは進んでいるので、海外サイトのチュートリアルを毎日複数個こなし、更には良いデザインの模写ばかりを何度も何度も繰り返す日々がありました。

良いものを目に入れ続けることの重要性。

何もなかった僕が「良いデザイン」を目に入れ続けることを徹底した結果、僕自身がその当時の技術では作れない様なデザインを僕自身も良いと感じる様になりましたが、当時はそれを自分で再現出来ないことに落ち込む日々が続きました。

ただ「ダサいものを良いデザイン」という感覚は一切なかったので、自分が作るデザイン自体も「ダサい」ということに気付き続けられたし、自分の理想に対して悔しいながらも希望を描ける感覚はあったんですね。

で、こういったことを「センス」という言葉で片付ける素人の人が沢山いるんですが、1つ例を挙げるとするとゼロイチでクリエイターを目指そうとしてる人間が「町内会のチラシだけを見る」を繰り返して、町内会のチラシ以上のデザインを作れると思いますか?

僕は自分自身にセンスがなかったからこそ、センスという言葉で片付けられるのが大嫌いで、ダサいデザインしか作れない人に問いたいのは「良いデザインを1日に何個見てそのデザインについてどれだけ語れるか?」くらいまで思考してるかってことなんです。

技術なんて後から簡単についてくる。

ちなみに僕はAdobeのツールをほぼ全て使いこなせる状態ではあるんですが、じゃあここで「ツールを使いこなせる人が良いデザインを作れると限りますか?」って質問をしたいんですね。

過去にも何人か出会いましたけど、各種ツールはそれなりに使えている上で「制作会社に何十年勤めていて〜」と言ったりする人間が、マジで全然センスのない人間だったりする訳なんですよ。

そういう意味で僕は、技術なんて僕がチャチャっと教えたら1ヶ月くらいでマスター出来る様なレベルのものばかりだし、「センス」を先に養うことのほうが重要で、クリエイターとしてリソースを割くべきことはそこだと思うんですね。

僕からすれば「フォトショ使いこなせます!」とか「イラレ使いこなせます!」とか言われても「だから?」って感じだし、ここ最近のツールは昔に比べてより便利になっているからこそ、そんなことは何の評価にも値しないと思っています。

クリエイターとして養うべきは感性。

僕は今、自分の才能を含め、仕事量やに限界を感じている中で「人を育てる」という部分に時間を費やそうとしているんですが、その人材発掘において重要視しているのは「情熱」と「感性」なんですよね。

まず1つ目に、やっぱり「何があっても挫けない情熱」はどの時代も必要で、基本的にこの情熱がなければ話にならないというのがあります。

そして次に僕が求めているのは「技術」ではなく「感性」で、だからこそ趣味レベルでもやっていることや、収集しているもののセンスなんかを見て才能を判断しようとしているんですね。

先ほども言いましたけど、どんどんとツールの利便性が高まっている中で、ネット情報も豊富だし、技術なんてものはあっという間についてくると考えたら僕のプレイヤーとしての引き際ってこの辺りなんですよね。

今、自分自身にポテンシャルがないと言ってる人にはまず「感性」を磨き続けてほしいんですが、これを磨く方法は「良いものを見る(触れる)」しかないと思います。

僕らの時代にも良いものは沢山ありましたが、それに触れる方法が「ネット < リアル」だったんですが、今はそれが逆になり、より安易にそれに触れることが出来る様になっています。

僕はセンスの良いものを「良い」と言える人全てにクリエイターの可能性があると思うし、それは今の若者だけに限らず全ての人に共通していると思うんですね。

なぜなら、冒頭で質問した意図として「モナリザ」はいつの時代も美しいと称される事実があるからです。

良いものを見て、良いものを咀嚼している人にしか良いものは生めないと思いますし、だからこそこれから学びを考える時に「町内会」ではなく「世界」を見て吸収してください。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer