「ごめんなさい」が言えなかった僕に起こった変化。
本日の記事のラジオVer.はこちらをクリック | by stand.fm
おはようございます。FOURTEENのコウタです。
京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。
京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)
僕をこの発信を通じて知ってくださった方からすると、僕はすごく「丸い人」に見えると思うんですが、実際のところは「プライドの塊(鉄)」のような人間で、なかなか素直になれない人だったりします。
そんな中で、最近の僕は「ごめんなさい」を言えるようになって来たんですね。
ということで今回は、「ごめんなさい」が言えなかった僕に起こった変化についてお話ししたいと思います。
自分の父親から「ごめんなさい」を聞いたことがなかった。
まず、幼少期からのお話をすると、僕の父親も「プライドの塊(ダイヤモンド)」のような人で、どんな悪いことをしても、父親の口から「ごめんなさい」を聞くことはたったの1度もありませんでした。
そんな環境で育ったからか、僕は日常的に(どんな小さいことでも)「ごめん」と言うことが出来ない子供に育ち、僕自身の高いプライドも邪魔をして、素直に感情表現をすることが出来ない人間に育ったんです。
これまで出会って来た人からは、ありがとうやごめんをサラッと言えないことから、よく「プライドが高い」とか「頑固」だとか言われて来ましたが、それに関しては半分正解で半分不正解なんですね。
感情は行動で示すべきだと思って生きてきた。
ただ、悪いことをしたら申し訳ないという気持ちがないということでは決してなく、心の中では悪いと思っているけど、その謝罪を伝えるために「ごめんなさいと言う」ということに直結しなかっただけなんです。
その代わりに「謝罪の気持ちを行動に移す」ということで、僕なりの自己表現として伝えようとして来たんですが、やっぱりここは世界共通後である「ごめんなさい」には勝てなかったんですね。
どんなに誠意を見せた行動をしても、言葉で表現しないと分からない人がいるということを知ったんです。
余談なんですが、これは僕にとって「外国人のハグ文化」が分からないのと同じくらいのレベルだったので、この問題を通じて「そういう考え方もあるんだ」という発見にも繋がりました。
でも「絶対に悪い」と思わないと僕は謝れない。
ただその中でも1つ曲げられないことがあって、それは「絶対に悪いと思わないと謝れない」ということです。
要するに、その場を収めようとして、自分にウソをついて軽い気持ちで「ごめんなさい」を言える人になれた訳ではないんです。
もちろん、大人と呼ばれる生き物として考えたら、すぐにごめんと言えた方が楽な場面があることも重々承知しているんですが、やっぱり自分の意思が強過ぎて、そこまで自分の感情を殺すことはできないんですね。(まだまだ修行が必要です。)
ただ、そんな中でも、日常会話の中に「ごめんごめん!」といった感じを、言葉として出せるようになれたのは成長だとも思っています。
すぐに謝れるようになった自分に思うこと。
もう1つ大きな成長だと思うのは、感情的になってしまった時や、(過去に)自分が悪いと思っていたことに関して、すぐ謝れるようになったことです。
例えば、少しケンカっぽくなってしまった時に、冷静になってすぐ問題を整理し、自分が良くなかったことに関しては全力で謝れるようになれたし、過去に悪いことをしたと思っていた人に対して、改めて会った時にしっかりと「ごめんなさい」を伝えられるようになりました。
これまでは、なかなか素直になれずに言えずにいた「ごめんなさい」を言えるようになったことで、心がモヤモヤしている時間を圧倒的に短くすることが出来ました。
感情表現が苦手な僕ではありますが、素直になることで心がスッキリする感覚を、そのまま行動に移せるようになれつつあることは本当に大きな成長だと思いました。
もし「ありがとう」や「ごめんなさい」を素直に言えないと悩んでおられる方がいれば、勇気を出して伝えてみてください。
きっと、その行動以上の見返りがあなたに返って来ると思います。
一緒に頑張りましょう。
では、また明日。