言葉の意味ではなく「価値観」を基準にした人付き合い。
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言葉の意味ではなく「価値観」を基準にした人付き合い。

2022.05.31
2022.05.31

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)

僕は「言葉をデザインする」というテーマでデザイン制作をしている身として、やはり「言葉」というもののエネルギーを強く信じて活動しています。

それは僕が「人を笑顔にする仕事がしたい」と思えたキッカケにもあり、たった一言で心が一気に軽くなったりするくらい、言葉ってすごく深いんです。

ということで今回は、言葉の意味ではなく「価値観」を基準にした人付き合い、についてお話ししたいと思います。

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僕が「言葉をデザインする」というテーマでクリエイターをしている理由。

保育園からの付き合いの友人がいて、僕が19歳の頃にその友人がすごく落ち込んでいた瞬間があったんですね。

で、当時の僕は家庭の事情もあって「生きる意味」を見失ってしまっていた時期で、将来自分がどんな風に生きていくかを考えるだけで、不安で不安で仕方のない日々を送り、毎日の様にそれをかき消そうと必死で生きていました。

そんな時に幼馴染の友人から「ちょっと話を聞いてほしい」と連絡が来て、家が近かったのでもちろん僕はすぐに向かって話を聞くことになりました。

友人から話を聞いた後に僕は、きっとその話の流れでは「可哀想に…」と心配する声をかける人が多い中で、何故か僕は「よく頑張ったな」という言葉をかけたんです。

するとその友人は、それまで泣きながら話していたにも関わらず、急にスッとした顔をして「ありがとう」と一言返された後に「多分自分はその言葉が欲しかったと思うし、今まさにその言葉に救われた。」と僕に言ってくれたんです。

その時僕は「自分も誰かのためになれるんだ」と実感し、「言葉の力」を目の当たりにした中で、僕はメッセージを届けるために生きようと決意しました。(それで紆余曲折ありデザイナーになったわけです)

「言葉の意味」なんてタダの「意味」でしかない。

僕がその友人にかけた言葉は「よく頑張ったな」という言葉でしたが、(内容は深く言えませんが)ほぼ99%の人はそこで友人の境遇を憐れんで共感する意味での「慰めの言葉」をかけると思います。

「慰める」という言葉を辞書で引くと「さびしさ・悲しみ・苦しみなどをまぎらせて、心をやわらげ楽しませる。」という意味らしいのですが、99%の人がこの場にふさわしい言葉だと思って発言すると思うんですね。

ただ、僕にはこの場面で「慰める」という言葉を使うと、辞書で引いた意味としては伝わらなくて「心を和らげる」という言葉としてではなく、「さらに気持ちを落ち込ませる」という風に伝わると直感で感じたんだと思います。

僕はその時、慰めることよりもポジティブで少し偉そうな意味にも捉えられ兼ねないリスクのある「よく頑張ったな」という言葉が、普段から「強い人」であった友人には響く「慰めの言葉」であると信じたんですね。

言葉の意味ではなく「状況」や「価値観」の基準大切にする。

こんな風に、同じ「慰める」というシチュエーションの中でも、相手の「状況」や「価値観」の基準を大切にすることが重要だと僕は思っていて、同じ意味だとしても、人によってその言葉に対する捉え方が違って来るということなんです。

例えば、一般的に「友達」と言えば、まぁせいぜい「仲の良い人」程度の感じになるかと思うんですが、僕の中では「自分の命に変えてでも守りたい人」ということになります。

昔から言っていますが、僕に「親友」なんて言葉は存在しなくて、「友人」と言える人が最上級であり、それ以上でも以下でもないわけです。

なので(周りとの会話で言葉の意味的に話を合わせるために使うことはありますが)基本的には「家族」とか「仲間」とか「友達」という言葉の重みに関しては、僕はきっと人よりも強い繋がりであると言えると思います。

要するに、言葉に対する価値観が違うので、僕が「友達は命をかけても守る!」と思っていても、周りの人は「仲の良い友人」程度にしか思ってなかったら、そこにはギャップが生まれるわけで、言葉を意味だけで考えていては感覚が合わないということになるんですね。

言葉の意味ではなく「価値観」を基準にした人付き合い。

そういう風に考えた時に、言葉ってホントに深いものだと思うからこそ、その言葉に対する「価値観」を基準にした人付き合いをすることが大切だと思うんですね。

なので僕は、簡単に「家族」「仲間」「友達」という基準を作れてしまう人とは仲良くなれないと思う一方で、その価値観の基準が同じ人はこの世の中に必ずいるとも思っています。(浅いも深いもどちらも同じで)

これに関して僕は最近、国と国で文化が違うレベルで大きくギャップがある部分だと思っていて、同じ日本人だからとか、同じ日本語だからとかというレベルではなく、感覚的な部分が合っていないと成立しないと思うんです。

多くの人が「人間関係」に悩む理由はそこだと感じたので、僕は言葉として繋がるのではなく「言葉に対する価値観」を基準にするように心掛けることにしています。

共通言語(価値観)が多ければ多いほど、ストレスは無くなっていくと思うので、皆さんの周りで人間関係に悩まれていることがあれば、価値観が合っているかどうかを確認してみてください。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer