「意図しない伝わり方」を繰り返さない関係であることの大切さ。
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「意図しない伝わり方」を繰り返さない関係であることの大切さ。

2021.10.15
2021.10.15

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おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し6年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,464日、毎日ブログは242日を突破。(2020年12月31日現在)

お仕事でもプライベートでも、僕は人と話すことが基本的には好きな方なんですが、僕の周りには頭の回転が速い人がホントに多いなと感心しています。(1言えば10分かる存在的な)

一方で、「そんなつもりなかったのに…」みたいな感じで『意図しない伝わり方』をした時のフォローって大変で、余分にエネルギーを使ってしまったりすることもありますよね。

ということで今回は、「意図しない伝わり方」を繰り返さない関係であることの大切さ、についてお話ししたいと思います。

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「話し合う」は話し合える人とじゃないと成立しない。

よく、何かしらトラブルが怒った時に、「話し合いましょう」みたいになると思うんですが、そこでしっかりと話し合える人って『お互いの話が通じる人』であって、僕が中国語を話せないのに、中国人と話し合っても、文化とか関係なく、物理的(言語的)になかなか分かり合うことは難しいです。

これは決して『言語』の問題だけではなく、日本語を話せる人同士の中で、それぞれが『言葉に持っている印象』でも大きく違っていて、要は「ガリガリ」という言葉にポジティブなイメージを持っている人もいれば、ネガティブなイメージを持っている人もいるといった感覚ですね。

こういったことを『共通言語』や『共通感覚』といった言葉で表現が出来ると思うんですが、この共通言語を沢山持っている人との話はホントにスムーズで、ストレスなく話し合いが進むと思います。

「あの人との会話は上手く噛み合わないなぁ…」っていうのは、どちらのせいでもなく、その部分のギャップがあるので、そういう意味で、話し合いは話し合える人とじゃないと成立しないと感じました。

『共通言語』や『共通感覚』が同じであるということ。

で、僕はここで思うことは『想像力が同じ人』ってホントに大切だなと思っていて、こういう人と話しているとすごく楽というか、それこを空気のような感覚を味わえたりするわけですね。(僕の親友とかはまさにそんな感じですね)

その中で僕が最も信頼し、安心感を得られる人は『同じ痛みを共有出来る人』で、決して楽しさを共有出来る人ではないんですね。

結局人って、楽しい時に人に頼ることはないわけで、「困った時に頼れる人」っていうのが存在として1番強いと僕は思ってるんです。(なかなかいないけどね)

そこで相談する相手として心強いのは『同じ痛みを共有出来る人』で、高校時代の「あのキツかった練習よく耐えたよなぁ…」みたいな話を共有出来るような、部活動の仲間なんかは、他の人よりも厚い絆で結ばれてたりするわけですね。

貧乏を経験した人にしか貧乏の気持ちは分からないし、夢を追っている人にしか夢を持っている人の気持ちは分からない。そんな苦悩や葛藤を共有出来るということも、コミュニケーションを取る中で大切な要素だと思います。

「意図しない伝わり方」を避けたい理由。

冒頭でもお話ししたんですが、「そんなつもりなかったのに…」みたいな『意図しない伝わり方』が頻繁に起こるような状況を避けたいと思う理由として、『無駄なエネルギーを使ってしまう』ということに尽きると思います。

Aさんには簡単に伝わるのに、BさんにはAさんの3倍話さないと伝わらないし、場合によっては意図せず伝わってしまって怒らせてしまい「そんなつもりなかったのに…」が起こってしまうことだってあるんですね。

意図しない伝わり方をしてしまう時って、大体は話をしている本人は悪気があったりするわけじゃないのでそこも厄介で、お互いが寛容であれば受け入れられますが、そうじゃない場合はとにかく無駄にトラブルが起こってしまいます。

Bさんに限ってそういう瞬間があるわけで、Aさんと話している時は「楽だよねぇ」ってどうしてもなってしまうんですね。

特別であり絶対に必要な存在『メンター』

先日の発信で僕は『メンター』について書いたんですが、やっぱりそういう存在って『1言えば10分かる存在』だったりするんですね。

共通言語』があり『同じ痛み』を共有出来て『意図しない伝わり方』なんてことは一切ないような存在の人って、この世にホント数少ない存在だと思います。そして中々出会うことが出来ない存在であるとも思います。

僕の場合は自分が凹んでいる時に欲しいのは「こうしたら良いんじゃないの?」って言葉をかけてくれる人ではなく、『自分の意思を汲んで背中を押してくれる人』なので、やっぱりそういう部分での『共通感覚』ってすごく大切なんですよね。

そう考えた時に、今自分に必要な存在ってどんな人なのかをすごく冷静に考えてしまうようになりました。結局、楽しいだけが人生じゃないので、しんどい時にどう感じるかが大切なんですよね。

自分の年齢を考えた時に、僕は今年で32歳。まだまだこれから長く生きていかないといけない中で、もっと色んなことを視野に入れても良いんじゃないかと感じました。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer