後ろめたさを持って繋がっていくよりも自分を潔く曝け出せ。
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後ろめたさを持って繋がっていくよりも自分を潔く曝け出せ。

2022.11.22
2022.11.22

おはようございます。FOURTEENのコウタです。

京都を拠点にフリーランスデザイナーとして活動しており、毎日休まず続けている、ランニングやブログを通じて感じた「継続は力なり」の大切さを発信したりしています。

京都を拠点に完全独学のフリーランスデザイナーとして活動し7年目。2016年から禁煙をキッカケに始めた毎日ランニングは1,830日、毎日ブログは610日を突破。(2021年12月31日現在)

僕自身がフラットに生きていたら「素直」とか「真っ直ぐ」とかそんな気持ちを持って生きていけると思うんですが、世間の多くは陰気臭さが目立つ気がしています。

裏でコソコソと誰が言ったとか、好きだの嫌いだのとか、本当はこう思っているとか、やっぱりどうしても僕は苦手なんですよね。

ということで今回は、後ろめたさを持って繋がっていくよりも自分を潔く曝け出せ、というお話をしたいと思います。

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人伝いで言われるあの人こう思ってるんだよ。

過去に食らった不義理で、僕は「待つ人」なので相手からの謝罪的な姿勢がなければ僕は自分から動かないということを決めました。

それは相手が自分で気付いて行動するその事実が大切だと思うからで、切り離してしまった存在というよりは、それを自分で気付いて欲しいと思う存在だからという部分が大きいからです。

そんなこんなで、周りからは「もう許してあげなよ」とか言われたりするんですが、許すも何もこっちが興味を持っていない(特にメリットを感じてない)相手に対して自分から歩み寄る理由がどこにあるか分かりません。

よく頑固者とか言われたりするんですが、そんな生温い感じで僕は人と接してないからこそ、熱いつながりを持ち続けて来れているんだと思っています。

歯に絹着せぬの理由は自分を殺さないだけ。

僕はただの頑固者ではなくて、自分が歯に絹着せぬキャラクターの理由は空気が読めないのではなく、空気を読んだ上で自分を殺していないだけというのが本当のところです。

自分(の意志)を殺して生きた未来にあるのは「破綻」に至るような我慢で、僕はそういうものを最初の段階から潰していくタイプなだけなんですね。

その理由としては「時間のムダ」が大きくて、中途半端に向き合って、中途半端な繋がりを維持して気持ち悪い感じで繋がっていくより自分を殺さなくても目の前にいる人との時間を大切にしたいと思っています。

変な後めたさを持つよりも、自分を殺さず潔く曝け出した状態でいられることが全てて、世の中の人はそれを「頑固」と言うけれど、僕にとっては自分とその相手が生きやすい世界で生きているということだったりします。

愚痴の対象と次の日はニコニコは気持ち悪い。

僕には「嫌い」という概念がなくて、「嫌い = 興味がない」ということになるので、その対象に何をされたとしてもほとんど気になりません。

それは圧倒的に自分が努力して、その対象を上回っている自負があるからこそのことで、最悪その対象がいなくなったとしても別に僕の人生には関係ありません。

それくらいの気持ちで不要な存在は不要だと言っている自負があるので、一度言ったことを曲げたり覆したりということはありません。

なので周りの人間がよくやっている、今まで愚痴を言っていた対象と明日はニコニコなんて絶対にできないので、そういう瞬間を見るとすごく中途半端な正義だよなって思います。

自分を潔く曝け出せ。

結局自分が可愛いので、そういう保守的な考えになるのかもしれないんですが、僕はそんなメリットに固執する時間を費やすほどに時間はありません。

そうなって来た時に、自分を潔く曝け出せる環境を作っておくことが大切だと思うんですよね。

だけど人は「嘘の自分の虚像」を作り出していて、わざわざ自分自身で生きにくい環境を作っていたりするわけなんです。

僕はそういうことを続けていて苦しんだ経験が沢山あるので、結構若い段階から自分のスタイルで生き抜こうと決めました。

いらないものはいらないというスタンスで、自分と真摯に向き合ってくれる存在に対して120%を返せるようにしっかりと見極めて潔く生きていきたいと思います。

一緒に頑張りましょう。

では、また明日。

WRITER
KOHTA FUKUI / Freelance Designer
KOHTA FUKUI
Freelance Designer